この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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例年だと午前中には家を出て、お盆の墓参りを済ますのだが
今日は何故かグズグズしていて、午後3時過ぎに出ることになった。
案の定常磐道下り線は、帰省客でラッシュ。那珂ICから日立中央IC
は12kmの渋滞。結局一般道を北上したら日立のお寺へは午後5時
近くに・・・・。
墓は寺の裏手の山にあるため、急坂の階段を登って行くのだが、これが
年々登れなくなっているのが吾ながらひしひし感じられ、何とも残念。
山登り、てゆーーか山歩きというか、結構好きでそこそこ歩いて来たが
はて?これからこの本格的山歩きが出来るかどうか不安になって来る。
やがては、一度ヒマラヤトレッキングもして見たい・・・、と思って
るんですがねー。
当方我流の山歩き、が関の山なのですが、日光の山あたりまで行きますと
私がせいぜい町の運動会に出るレベルだとすると、「有名な登山家」で
なくとも、アジア大会レベルかな?という方に出会う時がありますが、
それはもう凄いレベル、愕然と致します。
大分前、日光の太郎山(2367m)に登った時のこと。山王峠から
朝の5時過ぎ登り始め、手前の山王帽子山へ登った頃には腰まである
ササやぶ漕ぎで、下半身ズブ濡れ。登山靴の中までグショグショで、
靴を脱いで逆さまにすると泥水がジャーっと出る始末。
さて、そこで一休みすると、目指す太郎山は向かい側の別な山。一旦
山王帽子山を下り、向かいの屏風のような急坂を登り返さなければ
ならない。(実際は登りきっても、そこは前山で太郎山は更にやせ尾根
を渡ったその向こう側だったが。)
朝5時に登り始めてフーッという感じなのに、次は四肢全部を使って、
へばりつく様に登る・・・・・。
遥か眼下で、蚊の鳴くような微かな熊除けの鈴の音。
誰か登って来たな・・・・、という気配を感じたが、それが段々ハッキリ
聴こえるようになって来た。さらに暫らくすると、遂に追い着かれた。
「こんにちは!」
こちらも「こんにちは!」と挨拶を交わしたが、速いのなんのって・・。
頂上で話を聴いて見たら、なんと、ヒマラヤ手前のパキスタンの6500
m級の山へ3週間後だか行くための訓練という。
60歳ほどの年配者であったが、上には上がある、というか、レベルということをよくよく痛感した貴重な体験であった。
●今日のリンク:「栃木の山々」から、日光の山へお入り下さい。
太郎山の写真もあります。
今日は何故かグズグズしていて、午後3時過ぎに出ることになった。
案の定常磐道下り線は、帰省客でラッシュ。那珂ICから日立中央IC
は12kmの渋滞。結局一般道を北上したら日立のお寺へは午後5時
近くに・・・・。
墓は寺の裏手の山にあるため、急坂の階段を登って行くのだが、これが
年々登れなくなっているのが吾ながらひしひし感じられ、何とも残念。
山登り、てゆーーか山歩きというか、結構好きでそこそこ歩いて来たが
はて?これからこの本格的山歩きが出来るかどうか不安になって来る。
やがては、一度ヒマラヤトレッキングもして見たい・・・、と思って
るんですがねー。
当方我流の山歩き、が関の山なのですが、日光の山あたりまで行きますと
私がせいぜい町の運動会に出るレベルだとすると、「有名な登山家」で
なくとも、アジア大会レベルかな?という方に出会う時がありますが、
それはもう凄いレベル、愕然と致します。
大分前、日光の太郎山(2367m)に登った時のこと。山王峠から
朝の5時過ぎ登り始め、手前の山王帽子山へ登った頃には腰まである
ササやぶ漕ぎで、下半身ズブ濡れ。登山靴の中までグショグショで、
靴を脱いで逆さまにすると泥水がジャーっと出る始末。
さて、そこで一休みすると、目指す太郎山は向かい側の別な山。一旦
山王帽子山を下り、向かいの屏風のような急坂を登り返さなければ
ならない。(実際は登りきっても、そこは前山で太郎山は更にやせ尾根
を渡ったその向こう側だったが。)
朝5時に登り始めてフーッという感じなのに、次は四肢全部を使って、
へばりつく様に登る・・・・・。
遥か眼下で、蚊の鳴くような微かな熊除けの鈴の音。
誰か登って来たな・・・・、という気配を感じたが、それが段々ハッキリ
聴こえるようになって来た。さらに暫らくすると、遂に追い着かれた。
「こんにちは!」
こちらも「こんにちは!」と挨拶を交わしたが、速いのなんのって・・。
頂上で話を聴いて見たら、なんと、ヒマラヤ手前のパキスタンの6500
m級の山へ3週間後だか行くための訓練という。
60歳ほどの年配者であったが、上には上がある、というか、レベルということをよくよく痛感した貴重な体験であった。
●今日のリンク:「栃木の山々」から、日光の山へお入り下さい。
太郎山の写真もあります。
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先だってやっと梅雨が明けたと思ったら、昨日は暦の上では立秋という。
夕方から業界支部の理事部会へ出て来た。
その場所で、誰しも思うことは同じと見えてタメ息まじりに「もうお盆」
だねエー。
ほんとそう。
また帰ってばたばたすると、すぐ年末がやって来てしまいそう。フウッ。
ま、これも人の世の常・・・・か。
人の一生、なるようにしかならない・・・・。
そう諦めて、マイペースで生きる、これしかないでしょ。
先日何かのテレビで、なんも趣味がない人がやるのが「散歩」だそうで。
ヒドーーイ、とも思うが、何とでも言わせて置きましょ。
こちら、端から見ればド田舎かも知れぬが、田んぼ、里山が残り
ワタクシ的には大満足している。
あの映画、『となりのトトロ』が世代を超えて幅広くいまだに愛されて
いる理由が、あの映画に出て来る里山に誰もが日本の原風景を見て
いるから・・・・と、7月末の読売TV番組欄に出ていて当方合点した
ものです。 (読売、2006.7.28TV欄)
『となりのトトロ』のTVでの放送は、実に今年で9回目。しかも、
それで視聴率はというと、20%を下回ったのはたったの1回のみと
いうのだから、衰えぬ人気に驚くばかり・・・・、これには当方意を
強くしたものだ。
この<トトロ>的風景の中を、現実に歩けるシアワセを日々噛み締める
毎日でございますよ。
道すがらヤマユリの咲く林の脇を通り過ぎるとき、得も言われぬ満足を
味わったものだ。
(「野山の花の中で、時に王者の風格を見せるのがユリの花であろうか。
・・・<中略>・・・各地にそれぞれの野生のユリが自生し、そのいずれ
もが美しい花を咲かせる。
かつて、欧米の人にとって日本のユリは 憧れの的であったという。
・・・<以下略>・・・・
柳宗民 『日本の花』ちくま新書 584)
また先日は、田へ水を引く用水べりのあちこちにノカンゾウの群落が
あって、これはこれですばらしい景色であった。
なかなか一人散歩の時にはこの名前が判らず、家人との散歩の折に
教わって腑に落ちた。
ノカンゾウ、これもユリ科の花であった。
しかしどの種類の草花も、広々とした黄緑色の稲の海原を借景にして
いてこその美しさであるように思われる。
一週間ほど前には、日中行きそびれた散歩に、家人と懐中電灯片手に
夜も8時頃に出てみた。時期遅れと言ってもよいホタルを9匹だったか、
数えることが出来た。
これもまた、鄙の暮らしの豊饒・・・といってよい喜びであった。
【お奨めの本】
『宮崎駿の<世界>』 切通理作 ちくま新書 308
『「宮崎アニメ」秘められたメッセージ』佐々木隆
KKベストセラーズ ベスト新書 82
夕方から業界支部の理事部会へ出て来た。
その場所で、誰しも思うことは同じと見えてタメ息まじりに「もうお盆」
だねエー。
ほんとそう。
また帰ってばたばたすると、すぐ年末がやって来てしまいそう。フウッ。
ま、これも人の世の常・・・・か。
人の一生、なるようにしかならない・・・・。
そう諦めて、マイペースで生きる、これしかないでしょ。
先日何かのテレビで、なんも趣味がない人がやるのが「散歩」だそうで。
ヒドーーイ、とも思うが、何とでも言わせて置きましょ。
こちら、端から見ればド田舎かも知れぬが、田んぼ、里山が残り
ワタクシ的には大満足している。
あの映画、『となりのトトロ』が世代を超えて幅広くいまだに愛されて
いる理由が、あの映画に出て来る里山に誰もが日本の原風景を見て
いるから・・・・と、7月末の読売TV番組欄に出ていて当方合点した
ものです。 (読売、2006.7.28TV欄)
『となりのトトロ』のTVでの放送は、実に今年で9回目。しかも、
それで視聴率はというと、20%を下回ったのはたったの1回のみと
いうのだから、衰えぬ人気に驚くばかり・・・・、これには当方意を
強くしたものだ。
この<トトロ>的風景の中を、現実に歩けるシアワセを日々噛み締める
毎日でございますよ。
道すがらヤマユリの咲く林の脇を通り過ぎるとき、得も言われぬ満足を
味わったものだ。
(「野山の花の中で、時に王者の風格を見せるのがユリの花であろうか。
・・・<中略>・・・各地にそれぞれの野生のユリが自生し、そのいずれ
もが美しい花を咲かせる。
かつて、欧米の人にとって日本のユリは 憧れの的であったという。
・・・<以下略>・・・・
柳宗民 『日本の花』ちくま新書 584)
また先日は、田へ水を引く用水べりのあちこちにノカンゾウの群落が
あって、これはこれですばらしい景色であった。
なかなか一人散歩の時にはこの名前が判らず、家人との散歩の折に
教わって腑に落ちた。
ノカンゾウ、これもユリ科の花であった。
しかしどの種類の草花も、広々とした黄緑色の稲の海原を借景にして
いてこその美しさであるように思われる。
一週間ほど前には、日中行きそびれた散歩に、家人と懐中電灯片手に
夜も8時頃に出てみた。時期遅れと言ってもよいホタルを9匹だったか、
数えることが出来た。
これもまた、鄙の暮らしの豊饒・・・といってよい喜びであった。
【お奨めの本】
『宮崎駿の<世界>』 切通理作 ちくま新書 308
『「宮崎アニメ」秘められたメッセージ』佐々木隆
KKベストセラーズ ベスト新書 82
私が住んでいるのは(宍戸地区)大田町松山というところで、松山と付くぐらいだから、
昔は松林の山だったのだろう。
この地宍戸というのは、江戸時代宍戸藩といって水戸徳川家の支藩で
あった。またそれより以前戦国の佐竹氏の頃の歴史さえあり、その名残
か狭い地域にやけに寺社が多く分布しているのだ。
(宍戸の城塁と周辺集落の古地図が東北大学附属図書館所蔵というのに
驚かされたことがある。この宍戸の領主が佐竹氏とともに秋田に転封に
なったことから、<古地図も>秋田から仙台へと明治期?紆余曲折の
後収まったのだろう。)
中には親鸞ゆかりの寺もあったりするが、大田町松山も元を辿れば、
どこぞの寺院領の山であったらしい。
そんなことからか、我が宅地は猫の額ほどしかないのだが、夏場に
なるとやけにセミの脱殻が目に付くようになる。
もともと子供時代は日立に育ち、長じて水戸、習志野、岐阜、栃木壬生
つくば、新潟村上、埼玉浦和など居を点々として来たが、セミの鳴き声
はどこでも聞いて来たが、セミの羽化など見たことはなかった。
この場所に移り住んでからは、庭の雑木の枝にセミの脱殻を見ること
が多くなった。この仕事場の窓ガラスに接する枝木に脱殻があったり
したのだが、今年は出入り口のポストだとか、庭の垣根の支柱にも
脱殻がついている。
そして、先のポストの方など20年住んで初めて、(いや、生まれて
初めて)セミの羽化を身近に観察する機会を得た。
1週間ほど前の夕方5時過ぎ、ポストに幼虫が張り付いているのを
見つけてから、やがて幼虫が殻を脱ぎ始めやがてミルク色のくしゃく
しゃっとした小さな羽が出始めた。知らない振りして買物へ出かけたり
して、夜の10時過ぎ見てみると、まだ羽は透明でなくミルク色の
ままだったが、サイズは間違いなく成虫のセミと同じ大きさになって
いた。
翌朝見ると、脱殻だけがポストに張り付いていたが、セミはいなかった。
家内は「結局、死んでしまったの?」と聞いて来たが、夜中ピンとして
止まっていた(生き生きとした)セミが死んだとは思えなかった。
しかし、ポストの下には生まれたばかりらしいセミの顔と胴体があり、
アリ達が巣穴へ運ぼうとしていた。
よりによってほぼ同じ場所で幼虫2匹の羽化があったとも考えられな
かった。
考えたくなかった昨夜羽化したセミの余りに短い死?
7年もの間、日の目を見ず地中で育ち今やっと地表へと這いだし羽化し
た翌朝、スズメにでも見つけられてしまったのか。
何しろ地面に落ちていた幼虫の残骸は<全身>全てではなかった。
自然の営みの残酷さがこんな身近にも垣間見られた出来事だった。
●今日のリンク:セミの羽化
昔は松林の山だったのだろう。
この地宍戸というのは、江戸時代宍戸藩といって水戸徳川家の支藩で
あった。またそれより以前戦国の佐竹氏の頃の歴史さえあり、その名残
か狭い地域にやけに寺社が多く分布しているのだ。
(宍戸の城塁と周辺集落の古地図が東北大学附属図書館所蔵というのに
驚かされたことがある。この宍戸の領主が佐竹氏とともに秋田に転封に
なったことから、<古地図も>秋田から仙台へと明治期?紆余曲折の
後収まったのだろう。)
中には親鸞ゆかりの寺もあったりするが、大田町松山も元を辿れば、
どこぞの寺院領の山であったらしい。
そんなことからか、我が宅地は猫の額ほどしかないのだが、夏場に
なるとやけにセミの脱殻が目に付くようになる。
もともと子供時代は日立に育ち、長じて水戸、習志野、岐阜、栃木壬生
つくば、新潟村上、埼玉浦和など居を点々として来たが、セミの鳴き声
はどこでも聞いて来たが、セミの羽化など見たことはなかった。
この場所に移り住んでからは、庭の雑木の枝にセミの脱殻を見ること
が多くなった。この仕事場の窓ガラスに接する枝木に脱殻があったり
したのだが、今年は出入り口のポストだとか、庭の垣根の支柱にも
脱殻がついている。
そして、先のポストの方など20年住んで初めて、(いや、生まれて
初めて)セミの羽化を身近に観察する機会を得た。
1週間ほど前の夕方5時過ぎ、ポストに幼虫が張り付いているのを
見つけてから、やがて幼虫が殻を脱ぎ始めやがてミルク色のくしゃく
しゃっとした小さな羽が出始めた。知らない振りして買物へ出かけたり
して、夜の10時過ぎ見てみると、まだ羽は透明でなくミルク色の
ままだったが、サイズは間違いなく成虫のセミと同じ大きさになって
いた。
翌朝見ると、脱殻だけがポストに張り付いていたが、セミはいなかった。
家内は「結局、死んでしまったの?」と聞いて来たが、夜中ピンとして
止まっていた(生き生きとした)セミが死んだとは思えなかった。
しかし、ポストの下には生まれたばかりらしいセミの顔と胴体があり、
アリ達が巣穴へ運ぼうとしていた。
よりによってほぼ同じ場所で幼虫2匹の羽化があったとも考えられな
かった。
考えたくなかった昨夜羽化したセミの余りに短い死?
7年もの間、日の目を見ず地中で育ち今やっと地表へと這いだし羽化し
た翌朝、スズメにでも見つけられてしまったのか。
何しろ地面に落ちていた幼虫の残骸は<全身>全てではなかった。
自然の営みの残酷さがこんな身近にも垣間見られた出来事だった。
●今日のリンク:セミの羽化
7月の下旬、家人が1学期の締めの職員旅行で福島に行って来た。
旅程を聴くと、野口英世記念館にも寄ったそうだ。
ま、<ご苦労さん会>であるからして、「飲む」のが主目的のような
旅行であろうから、と思っていたら、案の定旅程の「省略?」もあった
ようだ。
しかし、野口英世記念館は殊勝にも時間をかけて見て来たらしくて、
少しは”安心”したものだ。
新聞スクラップを繰っていたら、8月5日の読売『緩話急題』という
コラムに同紙文化部永井一顕記者が「モンゴルの母子に贈る<野口
英世の足跡>」という記事を書いているのを見つけた。
同記者の文によれば、モンゴルからの留学生アルタンツェツェグが
日本の大学院を修了し就職した年、同記者を訪ねて来たと言う。
首都ウランバートルで一昨年6月、ビルグーンという生後9ヶ月の
男の赤ちゃんが火事で全身に大やけどを負ったのだそうだ。在日大使館
を通じて東京の病院に緊急輸送され、手術で一命はとりとめたらしいが、
両手の指をほとんど失いさらに手術が必要だった。
しかしその費用は千数百万円。平均的月収2万円程度しか貰っていない
モンゴル人夫婦にとっては、一生かけても払える金額ではない。
その時、先の留学生らがマスコミを訪ねて報道と支援を訴えて回った
という。なかなか募金額が集まらない時、民族楽器「馬頭琴」のコンサ
ートを思い立ち、読売のこの永井記者がコラムを書いたという。
コンサートは満員、寄付も集まったという。「日本人の優しさに涙が
出ました。匿名で500円、1000円を送ってくれた人もいます・・・・・・」
先月には今秋3歳になるビルグーンと母親スレン(25)、父親アリウ
ンバト(30)をアルタン(アルタンツェツェグ)が記者に紹介してくれ
た。永井記者はふと1000円札を思いついて、「この博士知ってる?」
とお札の肖像画を指差して聞いたのだとか。両親とも知らないという。
アルタンに説明する。
かくして、永井記者はビルグーンと両親、アルタンを野口英世の郷里へ
連れて行ったのだそうだ。
まるで野口英世の境遇に酷似したこのモンゴル人親子は、福島県猪苗代
町の記念館展示室を見学し、英世の生家の、彼が落ちた囲炉裏の前で
スレンが涙ぐんだという。
<はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ
はやくきてくたされ>無学な英世の母シカの手紙から、英世との
再会を切望する母の情がひしひしと伝わる・・・・。
どんな名文よりも、海より深い母の愛が直截に伝わる。
モンゴル人親子は、ヤポン(日本)の名も無き人々の善意に支えられて
命をとり止め、また猪苗代への旅で母スレンさんはさらに母としての
勇気を貰ったようだった・・・と永井記者のコラムは結んでいる。
☆2006年8月5日付読売新聞 第11面参照
●今日のリンク:野口英世記念館
(福島県猪苗代町絆づくり実行委員会は、英世の母シカの手紙に
ちなみ、「心の手紙コンテスト 母から子への手紙」を主催し
全国に募っている。)
旅程を聴くと、野口英世記念館にも寄ったそうだ。
ま、<ご苦労さん会>であるからして、「飲む」のが主目的のような
旅行であろうから、と思っていたら、案の定旅程の「省略?」もあった
ようだ。
しかし、野口英世記念館は殊勝にも時間をかけて見て来たらしくて、
少しは”安心”したものだ。
新聞スクラップを繰っていたら、8月5日の読売『緩話急題』という
コラムに同紙文化部永井一顕記者が「モンゴルの母子に贈る<野口
英世の足跡>」という記事を書いているのを見つけた。
同記者の文によれば、モンゴルからの留学生アルタンツェツェグが
日本の大学院を修了し就職した年、同記者を訪ねて来たと言う。
首都ウランバートルで一昨年6月、ビルグーンという生後9ヶ月の
男の赤ちゃんが火事で全身に大やけどを負ったのだそうだ。在日大使館
を通じて東京の病院に緊急輸送され、手術で一命はとりとめたらしいが、
両手の指をほとんど失いさらに手術が必要だった。
しかしその費用は千数百万円。平均的月収2万円程度しか貰っていない
モンゴル人夫婦にとっては、一生かけても払える金額ではない。
その時、先の留学生らがマスコミを訪ねて報道と支援を訴えて回った
という。なかなか募金額が集まらない時、民族楽器「馬頭琴」のコンサ
ートを思い立ち、読売のこの永井記者がコラムを書いたという。
コンサートは満員、寄付も集まったという。「日本人の優しさに涙が
出ました。匿名で500円、1000円を送ってくれた人もいます・・・・・・」
先月には今秋3歳になるビルグーンと母親スレン(25)、父親アリウ
ンバト(30)をアルタン(アルタンツェツェグ)が記者に紹介してくれ
た。永井記者はふと1000円札を思いついて、「この博士知ってる?」
とお札の肖像画を指差して聞いたのだとか。両親とも知らないという。
アルタンに説明する。
かくして、永井記者はビルグーンと両親、アルタンを野口英世の郷里へ
連れて行ったのだそうだ。
まるで野口英世の境遇に酷似したこのモンゴル人親子は、福島県猪苗代
町の記念館展示室を見学し、英世の生家の、彼が落ちた囲炉裏の前で
スレンが涙ぐんだという。
<はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくたされ
はやくきてくたされ>無学な英世の母シカの手紙から、英世との
再会を切望する母の情がひしひしと伝わる・・・・。
どんな名文よりも、海より深い母の愛が直截に伝わる。
モンゴル人親子は、ヤポン(日本)の名も無き人々の善意に支えられて
命をとり止め、また猪苗代への旅で母スレンさんはさらに母としての
勇気を貰ったようだった・・・と永井記者のコラムは結んでいる。
☆2006年8月5日付読売新聞 第11面参照
●今日のリンク:野口英世記念館
(福島県猪苗代町絆づくり実行委員会は、英世の母シカの手紙に
ちなみ、「心の手紙コンテスト 母から子への手紙」を主催し
全国に募っている。)
今日も暑かったですね。
水戸では水戸黄門まつりが明日まで。
そのど真ん中に用事があっても、ホコテンのため車で行けず電車で。
でも、帰りの時間にはちょうど<市民カーニバルinMITO>という45
団体、約4300人の踊りパレードの出発時間に出くわしました。
黄門様の音頭が、ガンガンがなり立てていましたが、でも懐かしかっ
たなーー。昔地元の百貨店の一員として参加したこともありましてねー。
さて今朝の読売の「地下の誘惑」という連載記事、<JR上越線土合駅・
(群馬県みなかみ町)>が載っておりました。
日本一のモグラ駅として、鉄道マニアなどそのスジにはつとに有名な
駅でして、ネットでもマニアによる探訪記の類がたくさんアップされて
います。
この新聞記事から拾い読みしてみると、土合駅は群馬、新潟両県に
またがる新清水トンネルの中にある。そう、川端康成の小説『雪国』
の有名な冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった・・・」
は、この清水トンネル(全長約13キロ)を抜けて新潟に入ったその
時の描写であるのですが。
地下ホームから地上の改札口までは、階段が延々486段。駅舎との
標高差はなんと70メートルもあるという。で、85年に上越新幹線
が開業すると、駅の乗降客が激減。平均乗降客数は36人といいます。
よって、今では当然無人駅。
昔には谷川岳への登山口として、それなりの乗降者もあったそうですが
今ではマイカー利用の登山者がほとんどで、先の乗降者数が現実。
でもね、その閑散とした駅だからして、駅で泊まるのには最高なので
す。朝の6時台に駅舎に入ると、駅のコンクリートの床に、もうほと
んど<荷物状>の物体がいくつも転がってたりします。
寝袋なら顔ぐらい出ているハズ。その物体は袋の上部も締められていて
とてもヒトが中に入ってるようには見えないシロモノなのです。
しかしてその実体は、結局ヒトの入った寝袋なのですがね・・・・。
遠方の山へ登る場合、やはり前夜までに目的の山の足元までには
着いている・・・・・、これ重要なのですが、谷川岳へ向かうなら
この土合駅宿泊はゴキゲンなのです。
風呂こそありませんが、キレイな水道水はあるしトイレも備え付け。
挙句にこの設備で宿泊料はタダなんですから・・・。
新潟に住んでいる時でしたか、部屋で単身住まいゆえ何処で寝たって
同じでしたから、結構放浪して外で寝ましたね。(但しシゴトは
ちゃんとやってましたけど。)この時は新潟から、尾瀬の群馬側入口の
鳩待峠を経て、途中雷雨に会いピンポン玉程のヒョウに打たれ(新車
のレガシィの車体に細かい無数の凹みがついてしまったのだが。)
奥利根の山峡で大小の滝を眺めながら下って、土合駅には17時頃
着いたのでしたかね。駅には誰も人っ子一人おらず、カップ麺から
ビールのつまみもろもろで、ひとり大宴会をしとりました。
先ほど尾瀬付近でやられた夕立が、この頃にはこの駅周辺でドシャ降り、
こちらは駅舎に入ってしまっていましたから平気の平左。酔いも回り
腹いっぱいにもなって、寝ようかという頃にもなって、若い3人の
男が雨宿りというか緊急避難といった風情で駅舎へ入って来ました。
「あの、外の車オジサンの?」一人が聞いて来ました。
さすがにその日、寝る段になったら<駅舎に一人寝>は気持ち悪くも
なっていたのだが、新参者の3人の闖入者がきっかけになって、早々
に車に退散。
ばりばり流浪の旅を続けるコチトラに向かって、「オジサン」はきつ
かった。
車で寝て、翌朝は土合駅の水道で洗顔し、谷川岳へと向かった。
駅舎を取り囲む山々の遥か頭上に、まだ白い月が残っていたが、今でも
土合駅の冷たい水とこの白い月が記憶の底に残っている。
今朝の新聞記事から、久々土合駅を思い出させられた。
●今日のリンク:上越線土合駅
☆グーグルなどで「土合駅」を検索すると、たくさんの関連記事が
読めます。ご興味の向きは検索して見て下さい。
鉄道マニアの方々の<無断転載お断り>の表示が妙に頑なな印象
がありましたので、それは避けました。でもいい記事が沢山。
どうぞ、直接当たって見て下さい。
水戸では水戸黄門まつりが明日まで。
そのど真ん中に用事があっても、ホコテンのため車で行けず電車で。
でも、帰りの時間にはちょうど<市民カーニバルinMITO>という45
団体、約4300人の踊りパレードの出発時間に出くわしました。
黄門様の音頭が、ガンガンがなり立てていましたが、でも懐かしかっ
たなーー。昔地元の百貨店の一員として参加したこともありましてねー。
さて今朝の読売の「地下の誘惑」という連載記事、<JR上越線土合駅・
(群馬県みなかみ町)>が載っておりました。
日本一のモグラ駅として、鉄道マニアなどそのスジにはつとに有名な
駅でして、ネットでもマニアによる探訪記の類がたくさんアップされて
います。
この新聞記事から拾い読みしてみると、土合駅は群馬、新潟両県に
またがる新清水トンネルの中にある。そう、川端康成の小説『雪国』
の有名な冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった・・・」
は、この清水トンネル(全長約13キロ)を抜けて新潟に入ったその
時の描写であるのですが。
地下ホームから地上の改札口までは、階段が延々486段。駅舎との
標高差はなんと70メートルもあるという。で、85年に上越新幹線
が開業すると、駅の乗降客が激減。平均乗降客数は36人といいます。
よって、今では当然無人駅。
昔には谷川岳への登山口として、それなりの乗降者もあったそうですが
今ではマイカー利用の登山者がほとんどで、先の乗降者数が現実。
でもね、その閑散とした駅だからして、駅で泊まるのには最高なので
す。朝の6時台に駅舎に入ると、駅のコンクリートの床に、もうほと
んど<荷物状>の物体がいくつも転がってたりします。
寝袋なら顔ぐらい出ているハズ。その物体は袋の上部も締められていて
とてもヒトが中に入ってるようには見えないシロモノなのです。
しかしてその実体は、結局ヒトの入った寝袋なのですがね・・・・。
遠方の山へ登る場合、やはり前夜までに目的の山の足元までには
着いている・・・・・、これ重要なのですが、谷川岳へ向かうなら
この土合駅宿泊はゴキゲンなのです。
風呂こそありませんが、キレイな水道水はあるしトイレも備え付け。
挙句にこの設備で宿泊料はタダなんですから・・・。
新潟に住んでいる時でしたか、部屋で単身住まいゆえ何処で寝たって
同じでしたから、結構放浪して外で寝ましたね。(但しシゴトは
ちゃんとやってましたけど。)この時は新潟から、尾瀬の群馬側入口の
鳩待峠を経て、途中雷雨に会いピンポン玉程のヒョウに打たれ(新車
のレガシィの車体に細かい無数の凹みがついてしまったのだが。)
奥利根の山峡で大小の滝を眺めながら下って、土合駅には17時頃
着いたのでしたかね。駅には誰も人っ子一人おらず、カップ麺から
ビールのつまみもろもろで、ひとり大宴会をしとりました。
先ほど尾瀬付近でやられた夕立が、この頃にはこの駅周辺でドシャ降り、
こちらは駅舎に入ってしまっていましたから平気の平左。酔いも回り
腹いっぱいにもなって、寝ようかという頃にもなって、若い3人の
男が雨宿りというか緊急避難といった風情で駅舎へ入って来ました。
「あの、外の車オジサンの?」一人が聞いて来ました。
さすがにその日、寝る段になったら<駅舎に一人寝>は気持ち悪くも
なっていたのだが、新参者の3人の闖入者がきっかけになって、早々
に車に退散。
ばりばり流浪の旅を続けるコチトラに向かって、「オジサン」はきつ
かった。
車で寝て、翌朝は土合駅の水道で洗顔し、谷川岳へと向かった。
駅舎を取り囲む山々の遥か頭上に、まだ白い月が残っていたが、今でも
土合駅の冷たい水とこの白い月が記憶の底に残っている。
今朝の新聞記事から、久々土合駅を思い出させられた。
●今日のリンク:上越線土合駅
☆グーグルなどで「土合駅」を検索すると、たくさんの関連記事が
読めます。ご興味の向きは検索して見て下さい。
鉄道マニアの方々の<無断転載お断り>の表示が妙に頑なな印象
がありましたので、それは避けました。でもいい記事が沢山。
どうぞ、直接当たって見て下さい。
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プロフィール
HN:
5596DA(ゴーゴークロダの意)
性別:
男性
職業:
行政書士
趣味:
山歩き、自然散策、ドライブ
自己紹介:
ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
日本自然保護協会・自然観察指導員
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上記もろもろ、兼 おっさん。
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