この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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結構このブログでも、大震災がらみのことを書いていながら、一方
では、「自分は(脇に)置いといて・・・」みたいな、まだまだ
傍観者的な位置にいることを反省。
玄関脇の、下駄箱の上に置いといたハズの懐中電灯は見当たらない
し、地震直後、娘が2階の畳の上に用意したバックには、家人の
アウターの上下しか入っていない。
オラのはどうなってんじゃーーーー。
健康保険証だの、貴重品一式がまとまってる訳でもないし、まあ、
リスク管理の「り」の字もない我が家です。
だもの、食料品の備蓄もないナ。2、3日はともかくとして、
後は二人して<メグンで、くだせェ~~>になりそうで、ゾッと
しました。
昨日の地元紙によると、茨城県日立市では『「次なる震災へ」備え』
(2012年1月10日付茨城新聞)を強化しているという。
緊急車両用の給油タンク設置やら、水道施設損壊に備えた市内
350箇所の民間井戸の整備を進めているとのこと。
同じく10日の毎日新聞では『想定外こそ備え必要 教訓を次代に
生かせ』のタイトルで二面にわたる特集記事。
その中で「30年以内に災害や事故などに遭う確率」なる表が出て
いて、判りやすく、またショッキングな情報であった。
情報源は「文部科学省の全国地震動予測地図」というので、今当た
ってみたら、出ていましたので以下、リンクしてみます。
●「全国地震動予測地図」の公表について
(平成21年7月21日公表)
そのうち、「解説編」全47ページ中46ページ目
上記リンク先で、46ページ目をリンクしたかったのだが、「解説編」
へのリンクとなってしまうため、スクロールして46ページ目を
見てください。
お時間のある方は「解説編」の最初から見ていただきますと、大震災
にあたって、地震の科学者が何の役にも立たなかった!!と思い勝ち
でしたが、ま、かなり地道な研究をして来ているのは判ります。
さて、46ページ目の<確率の数値を受け止める上での参考情報」
ですが、例えば、30年以内に遭う確率として、航空機事故で死亡の
確率0.002%、交通事故で死亡の確率は0.20%、空き巣ねら
いに遭ってしまう確率3.4%、火災で罹災が1.9%、がんで死亡
6.8%(がんは新聞記事)交通事故で負傷24%などなど、
その確率が記載されている中で、地震は東海地震が87%,東南海
地震60~70%、南海地震60%と格段に違うケタの確率らしい。
この表の評価値は、2009年1月1日時点でのものという断わり
が書いてあるが、奇しくも「宮城県沖地震」の確率が99%とも
書いてあり、東日本大震災の震源域が太平洋三陸沖であったのと、
同じことを指すのかどうかは不明だが、不気味さは募る。
ま、あらためて、地震への備えを再確認した。
今年の目標に、我が家のリスク対策充実も考えねばと思った。
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では、「自分は(脇に)置いといて・・・」みたいな、まだまだ
傍観者的な位置にいることを反省。
玄関脇の、下駄箱の上に置いといたハズの懐中電灯は見当たらない
し、地震直後、娘が2階の畳の上に用意したバックには、家人の
アウターの上下しか入っていない。
オラのはどうなってんじゃーーーー。
健康保険証だの、貴重品一式がまとまってる訳でもないし、まあ、
リスク管理の「り」の字もない我が家です。
だもの、食料品の備蓄もないナ。2、3日はともかくとして、
後は二人して<メグンで、くだせェ~~>になりそうで、ゾッと
しました。
昨日の地元紙によると、茨城県日立市では『「次なる震災へ」備え』
(2012年1月10日付茨城新聞)を強化しているという。
緊急車両用の給油タンク設置やら、水道施設損壊に備えた市内
350箇所の民間井戸の整備を進めているとのこと。
同じく10日の毎日新聞では『想定外こそ備え必要 教訓を次代に
生かせ』のタイトルで二面にわたる特集記事。
その中で「30年以内に災害や事故などに遭う確率」なる表が出て
いて、判りやすく、またショッキングな情報であった。
情報源は「文部科学省の全国地震動予測地図」というので、今当た
ってみたら、出ていましたので以下、リンクしてみます。
●「全国地震動予測地図」の公表について
(平成21年7月21日公表)
そのうち、「解説編」全47ページ中46ページ目
上記リンク先で、46ページ目をリンクしたかったのだが、「解説編」
へのリンクとなってしまうため、スクロールして46ページ目を
見てください。
お時間のある方は「解説編」の最初から見ていただきますと、大震災
にあたって、地震の科学者が何の役にも立たなかった!!と思い勝ち
でしたが、ま、かなり地道な研究をして来ているのは判ります。
さて、46ページ目の<確率の数値を受け止める上での参考情報」
ですが、例えば、30年以内に遭う確率として、航空機事故で死亡の
確率0.002%、交通事故で死亡の確率は0.20%、空き巣ねら
いに遭ってしまう確率3.4%、火災で罹災が1.9%、がんで死亡
6.8%(がんは新聞記事)交通事故で負傷24%などなど、
その確率が記載されている中で、地震は東海地震が87%,東南海
地震60~70%、南海地震60%と格段に違うケタの確率らしい。
この表の評価値は、2009年1月1日時点でのものという断わり
が書いてあるが、奇しくも「宮城県沖地震」の確率が99%とも
書いてあり、東日本大震災の震源域が太平洋三陸沖であったのと、
同じことを指すのかどうかは不明だが、不気味さは募る。
ま、あらためて、地震への備えを再確認した。
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ちょっと前までテレビを見ていて、今パソコンの前に。
●NHK冬ナビ
1月10日(火)放送〔総合〕午後10:00~10:50
『がんばっぺラジオ』
大震災時、各地に出来た災害FM局のひとつ、宮城県女川町の
災害FMに集まった若者たちを長期取材で追ったドキュメントで
した。
震災直後からしばらくは、ボランティアとして集まった若者たち
の地域情報の発信は、街の住民たちの「杖」として、大変大きな
貢献をして来ました。
しかし、徐々に街の復興の歩みが始まるとともに、自分達の今後
の身の振りかたを考えなければならない時期に差し掛かって来ま
した。
ボランティアとして、臨時メディアの発信にのめり込めば込む
ほど、廻りに比べて未来設計という意味で、一番取り残されつつ
ある自分に気付き始めます。
地域のためにと始めたハズなのに、仮設暮らしの大家族のためには
生活費の一部さえ入れていない若者。仮設の自宅に帰れば、両親
との喧嘩が必ずだ、と言う。
時間の経過とともに、人々のニーズは変り、人のこころさえもが
変化をして行きます。
地味ながら、三畳ほどの小さなプレハブの地域FMに腰をすえ、
丹念にそこに集った若者たちの日常を追った小品は、いろいろ
考えさせられた佳作でした。
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7日(土)の当ブログに書いた、女川町出身の行政書士さんから
今日、「寒中見舞い」のハガキが届きました。
やはり、心配したように、返事のハガキは年賀状ではありません
でした。お身内のどなたかが、津波の被害に遭われたのでしょう。
ハガキには、12月25日撮影の、海水で水浸しになっている
「マリンパル女川」の建物、そして、画面を横一線に区切る
舗装道路とは直角に正対していない大きな冷蔵倉庫の建物の
残骸が。3区画ほどのコンクリの基礎部分は正対しているのに、
冷蔵倉庫と思しき建物はそれから45度ほども曲がっている。
寒々しい廃墟の風景の写真です。
そんなハガキが着いた夜に、奇しくも同じ女川町の番組を
見たのでした。
しかし今度会った時に、どう、言葉掛けをすればいいのだろうか。
●NHK冬ナビ
1月10日(火)放送〔総合〕午後10:00~10:50
『がんばっぺラジオ』
大震災時、各地に出来た災害FM局のひとつ、宮城県女川町の
災害FMに集まった若者たちを長期取材で追ったドキュメントで
した。
震災直後からしばらくは、ボランティアとして集まった若者たち
の地域情報の発信は、街の住民たちの「杖」として、大変大きな
貢献をして来ました。
しかし、徐々に街の復興の歩みが始まるとともに、自分達の今後
の身の振りかたを考えなければならない時期に差し掛かって来ま
した。
ボランティアとして、臨時メディアの発信にのめり込めば込む
ほど、廻りに比べて未来設計という意味で、一番取り残されつつ
ある自分に気付き始めます。
地域のためにと始めたハズなのに、仮設暮らしの大家族のためには
生活費の一部さえ入れていない若者。仮設の自宅に帰れば、両親
との喧嘩が必ずだ、と言う。
時間の経過とともに、人々のニーズは変り、人のこころさえもが
変化をして行きます。
地味ながら、三畳ほどの小さなプレハブの地域FMに腰をすえ、
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7日(土)の当ブログに書いた、女川町出身の行政書士さんから
今日、「寒中見舞い」のハガキが届きました。
やはり、心配したように、返事のハガキは年賀状ではありません
でした。お身内のどなたかが、津波の被害に遭われたのでしょう。
ハガキには、12月25日撮影の、海水で水浸しになっている
「マリンパル女川」の建物、そして、画面を横一線に区切る
舗装道路とは直角に正対していない大きな冷蔵倉庫の建物の
残骸が。3区画ほどのコンクリの基礎部分は正対しているのに、
冷蔵倉庫と思しき建物はそれから45度ほども曲がっている。
寒々しい廃墟の風景の写真です。
そんなハガキが着いた夜に、奇しくも同じ女川町の番組を
見たのでした。
しかし今度会った時に、どう、言葉掛けをすればいいのだろうか。
正月の新聞の、書籍広告にあった■藤沢周平『初つばめ』という文
庫本を、2日目の昨日読み終えた。
映画に行った帰りの5日に買って、その日の夜中から、ちょっとの
積もりで読み始めたのだが、結局朝の6時まで読み、残りを昨日
に終えた。
実業之日本社の文庫、「チャンネル銀河」と言うCS放送の人気
番組『松平定知の藤沢周平をよむ』で朗読された中のベスト10
篇と言う触れ込み。
広告の<今こそ読みたい 人情と希望の名作短篇集>のコピーに
ほだされ、忘れないよう新聞の広告部分を破っておいて買って
来たもの・・・・。
近頃じゃ、地方の書店では、広告に出ているといって、店頭に
必ずあるものとは限らない。
一番の早道は、アマゾンに発注するのが、一番早くて確実な
道と言ってもイイぐらい。でも、早くて2日は掛かるだろうから
書店の店頭に期待を掛けていた。
映画に行った帰りのショッピングセンター内の書店は、いやはや、
今どき珍しいくらい、充実してましたナ。
ま、売場面積があるのも確かだが、客層が若年層が多いからも
あるのだろう。いや、イイ店を発見した。
さてその藤沢周平、元NHKアナウンサーの松平定知さんが、大
ファンだとは知りませんでした。(同書の「解説」を書いている)
お化け番組『その時歴史は動いた』で有名になった方で、歴史の
傑物・偉人ばかりを扱って来た人ですし、何より、ご本人が、
松平様というお殿様のお家柄ですからね。
それが、ご本人曰く「海坂藩モノ」も「江戸市井モノ」も「伝記
モノ」も、ジャンルを問わず全部好きなんだそうで。
それで、NHK時代に10年続けて、藤沢作品の『完全朗読』番組
の提案書を書き続けたそうだ。
初めから終わりまで一言一句カットなしで。しかも『一切の音楽なし、
一切の擬音なし、一切の効果音なし』松平さんの声と間(ま)だけ
で、藤沢ワールドを表現する・・・・と。
まあ凄いね、没、没、没、の9年連続・・・・。
10年目に局内で取り上げられ、その後『ラジオ深夜便』のレギュ
ラーコーナーにもなり、いま、「チャンネル銀河」の人気番組に
なっているとか。
藤沢周平に入る前に、長々と前置きが長くなった。
昨日、2日目にして読み終えたのは、午後から家人が美容院に
行って留守になったことが大きい。
藤沢作品に入って行くには、松平氏の話じゃないが、やはり、
一切の雑音がない中、人の気配もない方がやはり、<浸る>深さ
が違うんだよね。
「小説なんて、別に・・・・、どこでだって読めるでしょ!?」
これは我が女房殿のご託宣。
ちゃう、の!!
知らないヤツとは話し、しませんっ!!
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・チャンネル銀河のHPを見ていましたら、『藤沢周平の江戸
を歩く』なる深川街歩きツアーの企画が出ていた。
イイ企画。でも1月15日(日)といったら、今度の日曜日
じゃないの。もう、イッパイだろうね。
一応明日電話してみよう。
・今夜も日本海側は、音も無く雪が降っているのでしょう。
新潟・村上で一冬を過ごした私なども、その大変さは分かり
ます。
藤沢作品の武家モノに、たしか「雪明りの道」という短編
があった。夕餉の買い物をする妹(血のつながりはない)と
他家の養子に出た兄が、雪の中で、何年かぶりに傘ごしに
妹と出会う。短かな会話。切ない風景・・・・。
雪国で暮らして解かる厳しい暮らし。
でも、どちらかというと、江戸市井の庶民の哀歓を読む方が
好きだな。
今度の本でも、おまち、おもん、おつぎ、お柳、お才、おきみ、
おかつ、おしな、おきち、おうめ、なみ、しま、おすぎ、おとし
おすえ、おさん、おすみ、おあさ、おひさ。
いろんな女名が出て来た。
ここんところ珍しく、娘からの電話がないもので、「お○○から
電話がないのか?」と家人に訊いた。
家人へも<お●●>と呼ぶ昨日きょう、ダナ。
「待つ? おめえさんが三十両の金を払おうってのかい」
「さいでござんす」
「おめえ、この女の何だい?」
「へい、連れ合いでござんす」
・・・・・・江戸に入って行きそうーーーー。
(上記のセリフは、藤沢周平「遅いしあわせ」から。)
庫本を、2日目の昨日読み終えた。
映画に行った帰りの5日に買って、その日の夜中から、ちょっとの
積もりで読み始めたのだが、結局朝の6時まで読み、残りを昨日
に終えた。
実業之日本社の文庫、「チャンネル銀河」と言うCS放送の人気
番組『松平定知の藤沢周平をよむ』で朗読された中のベスト10
篇と言う触れ込み。
広告の<今こそ読みたい 人情と希望の名作短篇集>のコピーに
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来たもの・・・・。
近頃じゃ、地方の書店では、広告に出ているといって、店頭に
必ずあるものとは限らない。
一番の早道は、アマゾンに発注するのが、一番早くて確実な
道と言ってもイイぐらい。でも、早くて2日は掛かるだろうから
書店の店頭に期待を掛けていた。
映画に行った帰りのショッピングセンター内の書店は、いやはや、
今どき珍しいくらい、充実してましたナ。
ま、売場面積があるのも確かだが、客層が若年層が多いからも
あるのだろう。いや、イイ店を発見した。
さてその藤沢周平、元NHKアナウンサーの松平定知さんが、大
ファンだとは知りませんでした。(同書の「解説」を書いている)
お化け番組『その時歴史は動いた』で有名になった方で、歴史の
傑物・偉人ばかりを扱って来た人ですし、何より、ご本人が、
松平様というお殿様のお家柄ですからね。
それが、ご本人曰く「海坂藩モノ」も「江戸市井モノ」も「伝記
モノ」も、ジャンルを問わず全部好きなんだそうで。
それで、NHK時代に10年続けて、藤沢作品の『完全朗読』番組
の提案書を書き続けたそうだ。
初めから終わりまで一言一句カットなしで。しかも『一切の音楽なし、
一切の擬音なし、一切の効果音なし』松平さんの声と間(ま)だけ
で、藤沢ワールドを表現する・・・・と。
まあ凄いね、没、没、没、の9年連続・・・・。
10年目に局内で取り上げられ、その後『ラジオ深夜便』のレギュ
ラーコーナーにもなり、いま、「チャンネル銀河」の人気番組に
なっているとか。
藤沢周平に入る前に、長々と前置きが長くなった。
昨日、2日目にして読み終えたのは、午後から家人が美容院に
行って留守になったことが大きい。
藤沢作品に入って行くには、松平氏の話じゃないが、やはり、
一切の雑音がない中、人の気配もない方がやはり、<浸る>深さ
が違うんだよね。
「小説なんて、別に・・・・、どこでだって読めるでしょ!?」
これは我が女房殿のご託宣。
ちゃう、の!!
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・チャンネル銀河のHPを見ていましたら、『藤沢周平の江戸
を歩く』なる深川街歩きツアーの企画が出ていた。
イイ企画。でも1月15日(日)といったら、今度の日曜日
じゃないの。もう、イッパイだろうね。
一応明日電話してみよう。
・今夜も日本海側は、音も無く雪が降っているのでしょう。
新潟・村上で一冬を過ごした私なども、その大変さは分かり
ます。
藤沢作品の武家モノに、たしか「雪明りの道」という短編
があった。夕餉の買い物をする妹(血のつながりはない)と
他家の養子に出た兄が、雪の中で、何年かぶりに傘ごしに
妹と出会う。短かな会話。切ない風景・・・・。
雪国で暮らして解かる厳しい暮らし。
でも、どちらかというと、江戸市井の庶民の哀歓を読む方が
好きだな。
今度の本でも、おまち、おもん、おつぎ、お柳、お才、おきみ、
おかつ、おしな、おきち、おうめ、なみ、しま、おすぎ、おとし
おすえ、おさん、おすみ、おあさ、おひさ。
いろんな女名が出て来た。
ここんところ珍しく、娘からの電話がないもので、「お○○から
電話がないのか?」と家人に訊いた。
家人へも<お●●>と呼ぶ昨日きょう、ダナ。
「待つ? おめえさんが三十両の金を払おうってのかい」
「さいでござんす」
「おめえ、この女の何だい?」
「へい、連れ合いでござんす」
・・・・・・江戸に入って行きそうーーーー。
(上記のセリフは、藤沢周平「遅いしあわせ」から。)
いつもなら律義に、元日に年賀状が届く方の年賀状が今日。
見れば、例年に比べては<かなり抑えた>、宝船の赤スタンプだけ
が押してある簡素なそれでした・・・。
暮れには、東日本大震災後初めて迎える新年、「年賀」やら「あけ
ましておめでとう」は控えようという動きもありました。
一方で、震災後の沈んだ気持ちを払拭するために、「あけまして
おめでとう」がイイんだ、という反論もありましたね。
新聞テレビでは、年明け後も連日、震災被災者がらみの話題が続い
ています。
「----忘れないこと」
これが一番大切なことなのですが、幸いに直接大きな被害を受けな
かった者にとっては、そういった情報もつい(言葉は悪いが)「消
費」しているだけではないか?そうも思っていました。
そんな矢先の今日の賀状、まさしく「年賀」も「おめでとう」も
なくて、<平穏で安寧な一年でありますように・・・>とあり
ました。
そして、この方の律義さをあらわす添え書きには、墨書でこちらの
健康を祈る一文とともに、「ふるさと石巻再スタートの年です」の
一行が。
そうだったんだ、思えば話ぶりに独特のなまりもあったっけ。
ご出身が石巻を今日知りました。
年賀状はがきを使っていますから、どなたか直接にお亡くなりに
なった人が出ているわけではないのかも知れません。
でも、ご親類やら、子ども時代からの友人に犠牲者がきっと
出ているとも思えます。
あらためて、東日本大震災の現実を思い知った今日でした。
それなりに懇意にしていた行政書士さんは、岩手県女川町の
出身。もう水戸に住んで長いはずですから、心配は過ぎった
ものの一応年賀状を出しておきました。
だが、こちらの方の肉親、お身内の方には大きな不幸があった
のかもしれません。今日段階ではまだ返事はない。
現実の大きな被災があった場合、「賀状」どころの話ではない
はずだもの・・・、と案じています。
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3日の夜に息子達がしてくれた我が家の新年会。
昨年の3・11に、たまたま東京に行って<帰宅難民>と
なった折、沿道のデザイン事務所か何かのお若いデザイナー
さんに一泊させて戴いたのを聴いていたもので、その後、
その時のお礼はしたのか、心配していた。
新年会でその事を尋ねると、震災後、東京まで行ってその方と
酒を飲んだ、と確認が取れた。
しかし、長い髪を後で束ね、アゴ髭も生やした「良からぬ風体」
の男をよくも泊めてくれたものだと、今でも顔も知らない
その男性に感謝するばかり。「絆」とは言うけれど・・・・。
見れば、例年に比べては<かなり抑えた>、宝船の赤スタンプだけ
が押してある簡素なそれでした・・・。
暮れには、東日本大震災後初めて迎える新年、「年賀」やら「あけ
ましておめでとう」は控えようという動きもありました。
一方で、震災後の沈んだ気持ちを払拭するために、「あけまして
おめでとう」がイイんだ、という反論もありましたね。
新聞テレビでは、年明け後も連日、震災被災者がらみの話題が続い
ています。
「----忘れないこと」
これが一番大切なことなのですが、幸いに直接大きな被害を受けな
かった者にとっては、そういった情報もつい(言葉は悪いが)「消
費」しているだけではないか?そうも思っていました。
そんな矢先の今日の賀状、まさしく「年賀」も「おめでとう」も
なくて、<平穏で安寧な一年でありますように・・・>とあり
ました。
そして、この方の律義さをあらわす添え書きには、墨書でこちらの
健康を祈る一文とともに、「ふるさと石巻再スタートの年です」の
一行が。
そうだったんだ、思えば話ぶりに独特のなまりもあったっけ。
ご出身が石巻を今日知りました。
年賀状はがきを使っていますから、どなたか直接にお亡くなりに
なった人が出ているわけではないのかも知れません。
でも、ご親類やら、子ども時代からの友人に犠牲者がきっと
出ているとも思えます。
あらためて、東日本大震災の現実を思い知った今日でした。
それなりに懇意にしていた行政書士さんは、岩手県女川町の
出身。もう水戸に住んで長いはずですから、心配は過ぎった
ものの一応年賀状を出しておきました。
だが、こちらの方の肉親、お身内の方には大きな不幸があった
のかもしれません。今日段階ではまだ返事はない。
現実の大きな被災があった場合、「賀状」どころの話ではない
はずだもの・・・、と案じています。
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3日の夜に息子達がしてくれた我が家の新年会。
昨年の3・11に、たまたま東京に行って<帰宅難民>と
なった折、沿道のデザイン事務所か何かのお若いデザイナー
さんに一泊させて戴いたのを聴いていたもので、その後、
その時のお礼はしたのか、心配していた。
新年会でその事を尋ねると、震災後、東京まで行ってその方と
酒を飲んだ、と確認が取れた。
しかし、長い髪を後で束ね、アゴ髭も生やした「良からぬ風体」
の男をよくも泊めてくれたものだと、今でも顔も知らない
その男性に感謝するばかり。「絆」とは言うけれど・・・・。
年の初めなもので、コメンドクサイ記事の2日目をお許し願おう。
昨日に引き続いて、元日付各紙の記事から話をすすめる。
<読むものが少なかった・・・>という印象がまず第一番だが、
そうは言っても「社説」は、それぞれに特徴を打ち出したいい
記事が多かった。
なかでも、日経の社説「転換期日本 変化の芽を伸ばす①」が
興味を惹いた。
さて、以下はその一部。
『「日本は今悩んでいる。日本はどこへ行くのだ。何をするの
だ。日本はどうなるのだ」
「日本はもう(中略)進むだけ進んだのではないか。生々たる
発育期をすぎて、静止状態に入ったのではないか。注意すべき
は発足期にたつ支那(原文のまま。中国をさす)であって、日本
の時代は過ぎたのではないか』(日本経済新聞1月1日付社説の
引用部分)
上記記事中、<支那>の文字が「中国」と書いてあれば、まさに
今のことを書いた、こんにちの記事と見紛うハズだ。
日経の社説に則り種明かしをすれば、なんと上記の文章は、発行
日が1929年10月18日。「世界恐慌がおこった暗黒の木
曜日である10月24日の6日前である。」(日経 同記事)
その日発行の『転換期の日本』なる本の書き出し部分なのだそうだ。
著者は中外商業新報(日経の前身)で外報部長をつとめた評論家
滝沢冽(きよし)という。
滝沢が執筆した1920~30年代というのは、現在のおかれて
いる状況との酷似がいわれるのだそうで。
まさに頭書に引いた、日経社説の中の滝沢の引用文、断わりなく
読んでしまえば<今のことと錯覚>してしまうぐらいだ。
日経年頭の社説は、コジャレた心憎い修辞をしてくれたものだが、
そのまとめも、滝沢の『転換期の日本』を現代語風に意訳して
以下のように締めくくっていた。
「日本再生のためには、国家目標としてグローバル社会で生きぬ
くことを高く掲げ、転換期を乗りこえていこうーーーー。」
(日本経済新聞 2012年1月1日付 社説より)
さあて、この日経の社説が刺激になったものかどうか、今日の
毎日新聞社説「明治と戦後に学ぶこと」がまた、面白い。
以下、リンクしたので全文を読んでいただけたらと思う。
明治から戦後までの日本外交史をダイジェストにまとめてくれた
ようで、頭の整理にも役立つものだ。
●2012年1月6日付 毎日新聞社説「明治と戦後に学ぶこと」
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◆4日夜にNHK地上波で放送の「ワールドWave toni
ght 2012年世界はどう動くか」でのこと。
知らなかったのだが、鎌倉千秋アナウンサーがキャスターの1人
になっていたんですね。
かつて夜9時からのニュース枠では、いつも街中レポートなどやる
端役ばかりで、その後も目が出ず<伸び悩み・・・>の印象を受けて
いました。その他の番組でも出る時は<端役・・・>ばっかり。
その前の任地、沖縄局では<オジサン族のマドンナ>だったらしい
のに、キャワイソーでした・・・・。
ところが、ところが、4日夜にはポジションは男性キャスターの
記者とメインキャスター役。そのうち、北京からの中継で、現地
の中国人作家とサシの中国語によるインタビュー。あっちゃやー。
ス、凄過ぎる・・・・・・・。
通訳なしで、ペラペラの流暢な中国語。その発音たるや、100%
の中国人とおんなじじゃあ、ないの!!
い、いつの間に・・・・・・・。
ネットで調べてみると、大学時代には中国語研究会。
NHKに入ってからも、ある時、局内の募集に応じ、中国現地の
NHK中国総局での1年間の研修も経験したのだとか。
ガッツあるねー。
衛星中継が飛交う時代、日本の放送局のスタジオから日本の
アナウンサーが正調発音で中国語でのインタビューを試みるなんて、
想像もしていなかったもので、非常に小気味いいものでした。
<端役>に見えたのに・・・、立派な立ち居振る舞いに
1ファンとして涙こぼれそうになりましたヨ。
人知れず血の滲むような努力は、必ず日の目を見るものだと
意を強くしたことでした。
昨日に引き続いて、元日付各紙の記事から話をすすめる。
<読むものが少なかった・・・>という印象がまず第一番だが、
そうは言っても「社説」は、それぞれに特徴を打ち出したいい
記事が多かった。
なかでも、日経の社説「転換期日本 変化の芽を伸ばす①」が
興味を惹いた。
さて、以下はその一部。
『「日本は今悩んでいる。日本はどこへ行くのだ。何をするの
だ。日本はどうなるのだ」
「日本はもう(中略)進むだけ進んだのではないか。生々たる
発育期をすぎて、静止状態に入ったのではないか。注意すべき
は発足期にたつ支那(原文のまま。中国をさす)であって、日本
の時代は過ぎたのではないか』(日本経済新聞1月1日付社説の
引用部分)
上記記事中、<支那>の文字が「中国」と書いてあれば、まさに
今のことを書いた、こんにちの記事と見紛うハズだ。
日経の社説に則り種明かしをすれば、なんと上記の文章は、発行
日が1929年10月18日。「世界恐慌がおこった暗黒の木
曜日である10月24日の6日前である。」(日経 同記事)
その日発行の『転換期の日本』なる本の書き出し部分なのだそうだ。
著者は中外商業新報(日経の前身)で外報部長をつとめた評論家
滝沢冽(きよし)という。
滝沢が執筆した1920~30年代というのは、現在のおかれて
いる状況との酷似がいわれるのだそうで。
まさに頭書に引いた、日経社説の中の滝沢の引用文、断わりなく
読んでしまえば<今のことと錯覚>してしまうぐらいだ。
日経年頭の社説は、コジャレた心憎い修辞をしてくれたものだが、
そのまとめも、滝沢の『転換期の日本』を現代語風に意訳して
以下のように締めくくっていた。
「日本再生のためには、国家目標としてグローバル社会で生きぬ
くことを高く掲げ、転換期を乗りこえていこうーーーー。」
(日本経済新聞 2012年1月1日付 社説より)
さあて、この日経の社説が刺激になったものかどうか、今日の
毎日新聞社説「明治と戦後に学ぶこと」がまた、面白い。
以下、リンクしたので全文を読んでいただけたらと思う。
明治から戦後までの日本外交史をダイジェストにまとめてくれた
ようで、頭の整理にも役立つものだ。
●2012年1月6日付 毎日新聞社説「明治と戦後に学ぶこと」
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◆4日夜にNHK地上波で放送の「ワールドWave toni
ght 2012年世界はどう動くか」でのこと。
知らなかったのだが、鎌倉千秋アナウンサーがキャスターの1人
になっていたんですね。
かつて夜9時からのニュース枠では、いつも街中レポートなどやる
端役ばかりで、その後も目が出ず<伸び悩み・・・>の印象を受けて
いました。その他の番組でも出る時は<端役・・・>ばっかり。
その前の任地、沖縄局では<オジサン族のマドンナ>だったらしい
のに、キャワイソーでした・・・・。
ところが、ところが、4日夜にはポジションは男性キャスターの
記者とメインキャスター役。そのうち、北京からの中継で、現地
の中国人作家とサシの中国語によるインタビュー。あっちゃやー。
ス、凄過ぎる・・・・・・・。
通訳なしで、ペラペラの流暢な中国語。その発音たるや、100%
の中国人とおんなじじゃあ、ないの!!
い、いつの間に・・・・・・・。
ネットで調べてみると、大学時代には中国語研究会。
NHKに入ってからも、ある時、局内の募集に応じ、中国現地の
NHK中国総局での1年間の研修も経験したのだとか。
ガッツあるねー。
衛星中継が飛交う時代、日本の放送局のスタジオから日本の
アナウンサーが正調発音で中国語でのインタビューを試みるなんて、
想像もしていなかったもので、非常に小気味いいものでした。
<端役>に見えたのに・・・、立派な立ち居振る舞いに
1ファンとして涙こぼれそうになりましたヨ。
人知れず血の滲むような努力は、必ず日の目を見るものだと
意を強くしたことでした。
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行政書士
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山歩き、自然散策、ドライブ
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ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
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