この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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昨日の拙ブログの冒頭、単なるおふざけで「今日は何の日」か
ら書き出した。
一夜明けて、今日はいつものルーティンで『新潟日報』WEB
から、そこのコラムを開いてみてビックリ!?
今日こそ「今日は何の日」じゃないの!!
●日報抄 (2017年12月14日付 新潟日報)
ありゃりゃ、今日12月14日と言えば、忠臣蔵・赤穂浪士の
討ち入りの日だったのだ。
●12月14日 WEB『今日は何の日~毎日が記念日~』
<四十七士討ち入りの日、忠臣蔵の日>
実は、いつもの「歌声広場」が今度の日曜に迫っているのだが、
12月のリクエストに舟木一夫さんの「右衛門七討入り」を選
ぼうか・・・と思ったぐらい、忠臣蔵に入れ込んでいた時期が
あったのだったが、バタバタとした毎日の中、つい、忘れた。
ま、突然「右衛門七討入り」を持ち出されても、他のおじさん、
おばさんに腰抜かされても困るからーーーと自重した経緯があっ
たのだ。
上に引いた新潟日報コラムはさすがだ。
忠臣蔵の重要登場人物・堀部安兵衛は新潟・新発田の出身だから
して、コラム氏も今日12月14日を内心手ぐすね引いて待って
いたフシがある。
で、今日は満を持しての忠臣蔵がらみのコラムとなったのだろう。
実を言えば、当方忠臣蔵など昔話としてバカにしていたキライが
あったのだが、去年の秋ごろに偶然観た古い映画『最後の忠臣蔵』
でハマったのだ。
今、TBSドラマ『陸王』で抜群のキレを発揮している役所広司
が主演した映画(2010年12月公開)だったのだが、討ち入り
前夜に逃亡した瀬尾孫左衛門と言う役で、大石家の用人。
怖気づいての逃亡などではなく、大石内蔵助の密命を帯びての出奔
という解釈だったのだが、何しろ、役所広司の存在感で惹きつけられ
のだった。
それからあれこれ調べ始めると、笠間市の日動美術館のすぐ下の小さな
藪地が「大石内蔵助の先祖邸跡」というのが、史実だというのが判り
始めた。
正保2年(1645)に播磨国赤穂に移封されるまでは常陸国笠間で城
を構えていた浅野家。
その家老職大石家は、城の麓の今の日動美術館下に屋敷があったものだ
ろう。
いやはや、書き始めるときりがなくなるからやめるが、新潟日報のコラム
を見るにつけ、水戸光圀をはじめとして徳川一辺倒になってしまった茨城
と、本当の足元を見続ける他との郷土色の違いにも思いを至す今日だな。
●人気ブログランキング へ
よろしくお願い致します。
徳川の江戸進出以降、常陸地方の佐竹色の一掃、その他の地方大名、土豪
の平定・・・・・。知られざる凄まじい徳川化の波があったのだろうな。
笠間時代の浅野家については、『笠間市史 上巻』「第3章 五万石笠間
藩の藩政」の中「第一節 浅野笠間藩の政治」に詳しい。
美談の忠臣蔵なのだが、リアルには他藩と比べても重税だったともあり、
赤穂では、浅野家お取り潰しにあっては、庶民層には<手を打って喜ばれた>
との記述を目にしたこともある。
簡単な入門書としては、■菊池明著『図解雑学 忠臣蔵』ナツメ社 255ペ
ージ を常備しておくと便利。
ら書き出した。
一夜明けて、今日はいつものルーティンで『新潟日報』WEB
から、そこのコラムを開いてみてビックリ!?
今日こそ「今日は何の日」じゃないの!!
●日報抄 (2017年12月14日付 新潟日報)
ありゃりゃ、今日12月14日と言えば、忠臣蔵・赤穂浪士の
討ち入りの日だったのだ。
●12月14日 WEB『今日は何の日~毎日が記念日~』
<四十七士討ち入りの日、忠臣蔵の日>
実は、いつもの「歌声広場」が今度の日曜に迫っているのだが、
12月のリクエストに舟木一夫さんの「右衛門七討入り」を選
ぼうか・・・と思ったぐらい、忠臣蔵に入れ込んでいた時期が
あったのだったが、バタバタとした毎日の中、つい、忘れた。
ま、突然「右衛門七討入り」を持ち出されても、他のおじさん、
おばさんに腰抜かされても困るからーーーと自重した経緯があっ
たのだ。
上に引いた新潟日報コラムはさすがだ。
忠臣蔵の重要登場人物・堀部安兵衛は新潟・新発田の出身だから
して、コラム氏も今日12月14日を内心手ぐすね引いて待って
いたフシがある。
で、今日は満を持しての忠臣蔵がらみのコラムとなったのだろう。
実を言えば、当方忠臣蔵など昔話としてバカにしていたキライが
あったのだが、去年の秋ごろに偶然観た古い映画『最後の忠臣蔵』
でハマったのだ。
今、TBSドラマ『陸王』で抜群のキレを発揮している役所広司
が主演した映画(2010年12月公開)だったのだが、討ち入り
前夜に逃亡した瀬尾孫左衛門と言う役で、大石家の用人。
怖気づいての逃亡などではなく、大石内蔵助の密命を帯びての出奔
という解釈だったのだが、何しろ、役所広司の存在感で惹きつけられ
のだった。
それからあれこれ調べ始めると、笠間市の日動美術館のすぐ下の小さな
藪地が「大石内蔵助の先祖邸跡」というのが、史実だというのが判り
始めた。
正保2年(1645)に播磨国赤穂に移封されるまでは常陸国笠間で城
を構えていた浅野家。
その家老職大石家は、城の麓の今の日動美術館下に屋敷があったものだ
ろう。
いやはや、書き始めるときりがなくなるからやめるが、新潟日報のコラム
を見るにつけ、水戸光圀をはじめとして徳川一辺倒になってしまった茨城
と、本当の足元を見続ける他との郷土色の違いにも思いを至す今日だな。
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徳川の江戸進出以降、常陸地方の佐竹色の一掃、その他の地方大名、土豪
の平定・・・・・。知られざる凄まじい徳川化の波があったのだろうな。
笠間時代の浅野家については、『笠間市史 上巻』「第3章 五万石笠間
藩の藩政」の中「第一節 浅野笠間藩の政治」に詳しい。
美談の忠臣蔵なのだが、リアルには他藩と比べても重税だったともあり、
赤穂では、浅野家お取り潰しにあっては、庶民層には<手を打って喜ばれた>
との記述を目にしたこともある。
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プロフィール
HN:
5596DA(ゴーゴークロダの意)
性別:
男性
職業:
行政書士
趣味:
山歩き、自然散策、ドライブ
自己紹介:
ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
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