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今日は久々温かい日で、10月も末というのにTシャツで過ごし
た。
昼のテレビによれば、昨日気象庁の3か月予報が出たそうで、今
年は『寒い冬』になりそうと・・・。
何せ、温かさを味わうのは「今日」だけで、明日からは気温が低
くなるばかり・・・・なのだと言うのだもの、緊張するナ。
庭の平場に自生のリンドウが23,4個も可憐な花を付けている。
また夏場に丹精込めて水遣りをやったお蔭か、今年は黄色いキャ
ラブキの花も、15個も咲いている。
例年だと、2個か3個ほどの花だったというのにだ。
さて、今日のニュースから・・・。
●大川小津波訴訟:石巻市と宮城県に14億円賠償命令
(2016年10月26日 15時05分 毎日新聞)
東日本大震災直後の津波で、全校児童108人のうちの74人が死
亡・行方不明となった大川小学校を巡り、児童23人の遺族が市と県
に損害賠償を求めた訴訟の判決が、今日下った。
以前から注目されていた訴訟だったから、今夜のNHK『時論』でも
取り上げられるようだが、明日の朝刊の論評記事を待つことにしよう
と思う。
当方も、去る6月12日(日)に地元社協の企画の<復興ボランティア
活動>の一環で、この大川小学校跡地の現地に立つ機会を持った。
現地に立ってみれば、2階建て校舎の2階までが完全な壊滅状態で、津
波の威力の膨大さにあらためて息をのんだ。
大川小の近隣にあった集落は跡形もなく、広い更地として拡がり、その
向こうに、湖のように静かな北上川の大河が望めた。
当然に大川小学校の敷地一帯も津波が襲った跡の更地と化していた。コ
ンクリートの校舎の横腹がパックリと空き、水がぶち抜けた跡の残骸と
して残るばかりであった。
校舎のコの字型の並びで堰き止められた津波は、水流が渦となって巻い
たらしく、児童たちなどそこにいた人たちを巻き込み、やがて、この校
舎のコの字型の場所に折り重なった遺体となって発見されたという。
上記記事にもあるが、『地震発生後、約50分間校庭で待機した後、校
庭より約6メートル高い北上川に架かる橋のたもとへ避難を始め、津波
にのまれたとされる。』(上記毎日新聞記事)というのだが、50分間も
避難しないで、校庭で一体何をしていたのか?
当方も見て来たが、「橋のたもと」へ向かうより校庭の裏山へ逃げた方が
よほど犠牲が出なかった可能性が高い。
だが、大川小は学校周辺住民の防災避難場所にもなっていたという。
大川小の理科などの実習場所でもあった裏山は、結構急峻だったが、児童
たちには登るのはそれほど困難な場所ではなかったはずだ。しかし、学校
へ避難して来た近隣住民の中の高齢者を考えると、裏山への避難は躊躇さ
れたのかも知れない。
学校は学校の児童たちだけを考えればよいはずなのだが、防災非難場所の
指定を受けている場合、その住民たちの安全も学校の任務だったのだろう
か?
「児童たちをどうするか?」「避難して来た近隣住民をどうするか?」その
調整の作業で約50分も校庭で待機したことが悲劇を生んだのだろうか?
●東日本大震災 5年目の被災地
(2016年3月11日付 毎日新聞朝刊)
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よろしくお願い致します。
茨城県行政書士会の災害支援相談員研修会が10月15日に終わった。
7月、8月に一日づつあって、この10月ので合計3日間の研修であった。
いつ何時に予期せぬ災害に襲われるか知れぬ日本列島であってみれば、日頃
から「まさか!?」の事態に備える意識が重要だ。専門職の立場でも、それだ
からこその準備を、ゆめゆめ怠らないようにしなければ・・・。
今日の訴訟判決を受けて、手元に「つんどく」だった本を開いてみようと
思ったな。
■『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』池上正樹・加藤順子 青志社
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日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。