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 この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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いつだったかは忘れたのだが、1月になってからのある夜、2台
のスマホが突然、緊急地震速報を告げる警報音を鳴らしたことが
あった。


地震だから、何の前触れもなく突然なのだろうが、それにしても
突然大音響で2台のスマホが「キュウッ、キュウッ、キュウッ!」
と鳴ったもので、夫婦して思わず顔を見合わせたものだった。


緊急地震速報は震度5以上の揺れが予測される時に鳴る!とのこ
となのだが、何度聴いてもいやな絶妙な音だ。

ま、音響の専門家が集まって、わざわざ「不興」な音階を選んで
造ったのだろうから、当然だろう。
(この夜の速報は、富山県地方の地震と茨城県の地震が同時期に
重なったのが原因とかで、機械の誤作動となり震度5以上と誤報し
た模様。)


さて、今日はあの阪神大震災から23年目にあたるのだそう。
今夜NHKで関連のドキュメンタリーが放送されるほかは、貴乃花
問題であれほど騒いだマスコミもほとんど取り上げないニュースに
なってしまったようだ。


6434人もの人が亡くなった大災害のはずなのに、その風化ぶり
の著しさは残念と言うほかない。

2011年に東日本大震災にも見舞われた日本列島だから、いちい
ち構ってはいられない・・・ということなのかも知れないが、東北
の人々を中心とした、大震災の被災者の方々が最も恐れるのは「忘
れ去られること」と言うから、誰もがいつ何時被災者側に立つかも
知れないという覚悟とともに、寄り添う心を持っていたいものだ。


●日報抄 2018年1月17日付 (新潟日報)




アナタはそれぞれの大震災の時、どこで、何をしていましたか?

当方は阪神大震災の朝は、岐阜のマンションで出勤準備を終えて、テ
レビの生中継の空撮映像に立ち尽くしていましたっけ。

単身者なのに、4部屋もあるだだっ広いマンション、その寒々しい一室
で小さなテレビ画面を見下ろしていたな。部屋から見える外の景色は
生中継でヘリから見下ろす惨憺たる神戸市街、燃え盛る黒煙の景色と
正反対の穏やかな日の光が射していた。

ゴジラ映画で観たようなあり得ない、まるで架空の景色のような現実が
テレビの中にはあった。
孤独感の中で観たこの惨状だったから、今でもクッキリと思い出せる。

そして心配したのは、阪神地域から連綿と続く『活断層』、名古屋、岐
阜・長野に無数に埋もれるそれで引き起こされる誘発地震でしたね。




東日本大震災発災時は、ひたちなか市の中古車センターの広い駐車場に
いた。
娘の就職を控え、通勤の足確保が目的であったが、この時は一面コンクリ
ート敷きの地面がうねったようで、足を突っ張ってようやく転倒をこらえ
た。
付近の電柱の電線が、今まで見たこともないほど波打った。

その時現場にいた中年女性客が、応対していた営業の男性に持たれ懸かり
取り乱した様子に「何とオーバーな・・・・!?」と意地悪く思ったのだ
ったが、未曽有の大災害であったことを後日に知ることなった。


おっと、この場はブログだ。

長くなるからグダグダと書くのはヤメるが、もう車を<売る、買う>どこ
ろの話では無くなって、急ぎひたすら帰宅の路を急いだ。

道すがら、見える家家の屋根の瓦は落ち、もう通常ではない状況であるこ
とは明白だった。我が家はどうなっているのか?
もう、ただただ祈りながら、道を急いだ・・・・。


途中の那珂川に架かる橋は、この地震直後には通れた。
まだ「いつも」が続いていたのだが、県内でも「いつも」ではなくなってい
た北浦の潮来大橋は車が通った直後に崩落。
一人の方が湖面に沈み亡くなっている。
(当方が地震直後通れた橋は、実際は桁が外れていて、その後発災から4か
月半通行止めとなり補修された。)
危なかった・・・・。


祈りながら祈りながら帰り、自宅が遠くに見えた時、屋根は無事・・・・だ
った。


17時ごろになると、停電で薄暗い近くのコンビニの前を通ると、普段など
客の見えないその店が黒山の人だかり。在庫調整で品薄気味の店内だったか
ら、どれほどモノが買えたのか知らないが、まあ、人間のはしっこさをかい
間見た。
高を括っていて「走らなかった」分、やがて、コチラは苦労をしたな。


ロウソクを点け、掛布団にクルマってその夜をしのいだが、開けて翌午前2
時頃からは、所用でどうしても「行かねばならない」ところがあって、深夜
に家を出た。(この地震災害のさなか、当初の予定でもないとは思ったが約束
は約束と思い出掛けたのだ。)
出る前は、一睡もしないで地元の茨城放送の刻々変わる情報を聴いていたが、
三陸では「浜に数えきれない遺体が打ち上げられている・・・・。」と。


ただならぬ未曽有の事変の真っ只中という認識とともに、夜中の国道を走る
と、この時は凄かった・・・・・。


何の物音ひとつ聴こえない静寂のしじま。
国道には上下線とも1台の車さえ走っていず、後にも先にも自分しか「動い
ていない世界」の体験というのは、2011年3月11日(厳密には3月12
日午前2時)この時だけだった。
一生に一度、二度とはない,自分だけの体験だったと思う。

(被災地では夜を徹しての救助活動があり、一方ではまた、雪降る瓦礫の中で
厳寒の夜を過ごした被災者も多数おられたのだとは思うが。)




アナタはそれぞれの大震災の時、
      どこで、何をしていましたか?




●緊急地震速報は去年の2倍!?巨大地震は”地球の自転減速”が引き起こす
(2018年01月16日11時29分 週刊実話)




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性別:
男性
職業:
行政書士
趣味:
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自己紹介:
ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
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