この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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いやあ、今日は5月以来、久々に暑かった。
岐阜・多治見の39.3度が全国で最高気温だった
らしいが、全国の観測地点の7割もが 真夏日を記録
した日だった。
ここ笠間市でも34.9度と今夏最高だったらしいか
ら、もうボッコボコになりそうな 暑さだった。
こんな日は、あわてない、あわてない、で、 やること
はあったのだが、ダラっーーと過ごすほかなかったな。
先日の新聞で、日立市の名物「大煙突」が建設から
100周年を迎え、それを記念して日立市の 日立シビ
ックセンター科学館・天球劇場で同館のオリジナルプ
ラネタリウム番組「いつでも夢を」 を制作・上映する
との記事を読んだ。
今は、この「大煙突」、1993年に老朽化により倒壊
し、往時の約3分の一の54メートルを残すのみとなり、
この大煙突のふもとにあった小学校で育った当方として
は、今の<寸足らずの姿>は、何とも情けない姿と思うば
かりだった。
ところが、上記の企画で、CGでの再現ながら、往時の
高さ155.7メートルの雄姿が 拝める機会が出来た
ことを知ってうれしくなった。
●日立シビックセンター科学館・天球劇場
オリジナルプラネタリウム番組『いつでも夢を』
(同館HPより)
企画のタイトル『いつでも夢を』は、日立市の名誉市民
の作曲家、吉田正氏の曲名に由来している。
そう、あの橋幸夫・吉永小百合のデュエットによる名曲
を使用しているからとか。
今回の企画では、日本の高度成長期に差し掛かる1962
年の日立市が舞台となり、大煙突や日立鉱山の従業員用の
娯楽施設で、東京の歌舞伎座を模したという「共楽館」周辺
の街並みがCGで再現されているという。
大煙突は、遠足でその真下まで行き、友達数十人で煙突の
胴回りを手を繋いで測った思い出。「共楽館」は、まだ
テレビもない時代、家族で映画を見に行ったり、小学校時代
には、この共楽館の舞台が学芸会の発表の場であった。
歌舞伎役者やら、流行歌手が立つ舞台で当方は、発表劇『泣
いた赤オニ』の悪態の青オニ役をやった。
村に出没しては、村人をいじめ民家に入って狼藉三昧。
今では誰が用意したものか皆目不明なのだが、当方が暴れた
拍子に、床に叩きつけたみそ汁の椀が割れた瞬間がビデオ
のように、眼前に思い出される時がある・・・。
「アッ!?」と思ったのだが、椀は確かに割れた。
不思議なことに、学校に戻ってからも、誰からもその椀の
<補償問題>は出なかった。
用意した小道具のみそ汁の椀は、同級生の誰かが支度した
ものだったろうし、その彼だか彼女も、まだ扶養された子供
だったハズなのに・・・・、である。
小学校に入る前に、どのくらい住んだのかは不明なのだが、ある
時代、この共楽館前に住んでいたこともある。
幼児期のこととて、まるで記憶はないのだが、家の前の路端で
ひとり遊びしていた記憶。
大煙突が遠くに望め、その幾分左手、画面の中央部分の煙突よ
り奥まったところには、日立市で、一、二の標高の神峰山が
そびえていた。
記憶にあるのは、左手に雪のように白い粉を噴いた乾燥芋。
見上げれば牡丹雪がズンズンと降り出して、神峰山方向は白く
けむり山の気配はつかない景色。
冬の夕方、日暮の早い季節、五時、六時を回っていた時分の
頃だろうか?もうバスの車体もよく見えない中、バスの窓ごし
に車内の明かりと、それより何より、バスの後部の屋根付近の
速度灯の青か紫色のランプのひかりが、フッと記憶の底から
蘇る時があるのだ。
今回の企画制作担当者の奮闘ぶりを、NHKの地デジテレビで
みた。まだ、30代半ばか40代初めの彼が知らない時代を
どう再現したのか?
お盆の墓参りのついでに、この上映会に立ち寄ってみたいと
思っている。
●人気ブログランキング へ
ランキングに参加中、よろしくお願い致します。
ある時の小学校からの帰り道。
いつものように、共楽館の正面玄関前まで差し掛かると、
何かメモ帳かなにかを入手するためか、目の前の文房具屋さんに
向かって、公演の合間の着物姿で、その時人気絶頂の歌手畠山
みどりさんが出て来たのに出くわしたことがあった。
こどもながらに、あら、テレビで見るより「小さいな」と思った
が、さてさて、今回の上映会、町並みがどの位再現されているか?
しっかと、その周辺に生きてたヤツが現存するもので、ね。
この劇場のすぐ隣には、社会人野球チーム・旧日鉱日立の本拠地
万城寺球場があり、まだ、立教大野球部の選手だった長嶋茂雄が
この球場の試合で、大きく空振りした瞬間も見ている。
(当時、前立教大野球部の鬼監督だった砂押監督が日鉱日立の監督
になっていた関係で、こういう練習試合が行われたのだろう。)
ここ数か月の事務所整理作業で、新田次郎の小説『ある町の高い
煙突』が出てきた。また、まるで行方不明になっていたビデオ、
石原裕次郎の日活映画『今日に生きる』も出てきた。
ただ、数台あったビデオ機が壊れ、今では再生のしようがないと
諦めていたが、こう書きながら思い出したのが事務所にあるビデオ。
これで再生出来るかも知れない。
この石原裕次郎の映画『今日に生きる』は、日立市を舞台にした
映画で、今はなき我が小学校も舞台の一つになっていて、映画の
中で<入学式の風景>が撮影された。
当方などの下校時に、校門の階段に休憩で腰を下ろしていた女優
さん達の脇を通り抜けたこともあった。
「ボク? これ挙げる!?」女優さんが差し出したお菓子に目もくれず
走り出した田舎の子のぼくだった。
夕方から、父親の職場でもロケがあって「宍戸錠がいた・・・な。」
とか何とか夫婦で話していたのだが、この頃は日活映画を知らなか
った当方、「しし、ドジョウ」とはどんなドジョウなんだと、マジ、
不思議だったのだった・・・。
さてさて、今日は取り留めもなくダラダラと昔話を書いてしまった
が、新田次郎『ある町の高い煙突』では、旧制一高中退の市井の
活動家の煙害対策の活躍が描かれているが、何より日本の近代化
に邁進する一企業が、一方で大煙突建設以前から銅精錬に伴う煙害
とも真正面に向き合い、精錬所近隣の山々に常設の観測員を配置し
公害対策にもコストを厭わず真摯に対応した姿勢は賞賛に値するし
地元に生まれたものとしては実に誇らしい事実だ。
そういう煙害対策の取り組みがあった後に、さらに大煙突の建設
により煙害被害が極小化の途を歩むことになった。
今なお桜まつりに市民の憩いを提供し、つとに日立に桜が多いこと
は有名だが、元を辿れば、日立鉱山が桜が煙害に強い樹木であるこ
とから積極的に桜の植樹に努めたことに端を発する。
日立鉱山周辺の山を歩くと、桜のほかにオハグロの木が多いことに
も気づくがこれも同じ理由から来ている。
さて、日活映画『今日に生きる』にも出てくる、日立駅新駅整備で
今は無くなってしまったが、かつては、平和通り側の駅のほかに海
岸口と言われ「旧駅側」というホームでは繋がる古い駅舎があった。
そこへは、銀座通りと呼ばれた日立の目抜き通りから、常磐線の線
路を跨いで海側の旧駅(その語の海岸口)へと通る跨線橋があった。
映画では、どういう経緯か忘れたが、この跨線橋周辺から遠く、
画面上では阿武隈山系の末端をなす山々の風景の中、小さく爪楊枝
ほどもの小ささで、大煙突が佇立するカットが映っていた。
モノクロの画面、画面に被せた音楽の一つもなく、ただ静かで
小さな煙突だけが山並みに自然の中の唯一の人工物として佇立して
いた風景。
大煙突を語る時、煙突の麓近くの精錬所付近から見上げるという
よりか、この小さくて音もない「大煙突」が「大煙突」らしいと
思うのだ。
常磐線で日立駅から下り列車に乗ったとき、一駅先の小木津駅まで
の途中かどこか、筑波山に裏筑波があるように、富士山でも山梨側
の富士山があるように、「裏大煙突」が、山の陰になって先っぽ
だけ見えたような景色があったように記憶する。
これも、自分的には好ましい大煙突だった。
岐阜・多治見の39.3度が全国で最高気温だった
らしいが、全国の観測地点の7割もが 真夏日を記録
した日だった。
ここ笠間市でも34.9度と今夏最高だったらしいか
ら、もうボッコボコになりそうな 暑さだった。
こんな日は、あわてない、あわてない、で、 やること
はあったのだが、ダラっーーと過ごすほかなかったな。
先日の新聞で、日立市の名物「大煙突」が建設から
100周年を迎え、それを記念して日立市の 日立シビ
ックセンター科学館・天球劇場で同館のオリジナルプ
ラネタリウム番組「いつでも夢を」 を制作・上映する
との記事を読んだ。
今は、この「大煙突」、1993年に老朽化により倒壊
し、往時の約3分の一の54メートルを残すのみとなり、
この大煙突のふもとにあった小学校で育った当方として
は、今の<寸足らずの姿>は、何とも情けない姿と思うば
かりだった。
ところが、上記の企画で、CGでの再現ながら、往時の
高さ155.7メートルの雄姿が 拝める機会が出来た
ことを知ってうれしくなった。
●日立シビックセンター科学館・天球劇場
オリジナルプラネタリウム番組『いつでも夢を』
(同館HPより)
企画のタイトル『いつでも夢を』は、日立市の名誉市民
の作曲家、吉田正氏の曲名に由来している。
そう、あの橋幸夫・吉永小百合のデュエットによる名曲
を使用しているからとか。
今回の企画では、日本の高度成長期に差し掛かる1962
年の日立市が舞台となり、大煙突や日立鉱山の従業員用の
娯楽施設で、東京の歌舞伎座を模したという「共楽館」周辺
の街並みがCGで再現されているという。
大煙突は、遠足でその真下まで行き、友達数十人で煙突の
胴回りを手を繋いで測った思い出。「共楽館」は、まだ
テレビもない時代、家族で映画を見に行ったり、小学校時代
には、この共楽館の舞台が学芸会の発表の場であった。
歌舞伎役者やら、流行歌手が立つ舞台で当方は、発表劇『泣
いた赤オニ』の悪態の青オニ役をやった。
村に出没しては、村人をいじめ民家に入って狼藉三昧。
今では誰が用意したものか皆目不明なのだが、当方が暴れた
拍子に、床に叩きつけたみそ汁の椀が割れた瞬間がビデオ
のように、眼前に思い出される時がある・・・。
「アッ!?」と思ったのだが、椀は確かに割れた。
不思議なことに、学校に戻ってからも、誰からもその椀の
<補償問題>は出なかった。
用意した小道具のみそ汁の椀は、同級生の誰かが支度した
ものだったろうし、その彼だか彼女も、まだ扶養された子供
だったハズなのに・・・・、である。
小学校に入る前に、どのくらい住んだのかは不明なのだが、ある
時代、この共楽館前に住んでいたこともある。
幼児期のこととて、まるで記憶はないのだが、家の前の路端で
ひとり遊びしていた記憶。
大煙突が遠くに望め、その幾分左手、画面の中央部分の煙突よ
り奥まったところには、日立市で、一、二の標高の神峰山が
そびえていた。
記憶にあるのは、左手に雪のように白い粉を噴いた乾燥芋。
見上げれば牡丹雪がズンズンと降り出して、神峰山方向は白く
けむり山の気配はつかない景色。
冬の夕方、日暮の早い季節、五時、六時を回っていた時分の
頃だろうか?もうバスの車体もよく見えない中、バスの窓ごし
に車内の明かりと、それより何より、バスの後部の屋根付近の
速度灯の青か紫色のランプのひかりが、フッと記憶の底から
蘇る時があるのだ。
今回の企画制作担当者の奮闘ぶりを、NHKの地デジテレビで
みた。まだ、30代半ばか40代初めの彼が知らない時代を
どう再現したのか?
お盆の墓参りのついでに、この上映会に立ち寄ってみたいと
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ある時の小学校からの帰り道。
いつものように、共楽館の正面玄関前まで差し掛かると、
何かメモ帳かなにかを入手するためか、目の前の文房具屋さんに
向かって、公演の合間の着物姿で、その時人気絶頂の歌手畠山
みどりさんが出て来たのに出くわしたことがあった。
こどもながらに、あら、テレビで見るより「小さいな」と思った
が、さてさて、今回の上映会、町並みがどの位再現されているか?
しっかと、その周辺に生きてたヤツが現存するもので、ね。
この劇場のすぐ隣には、社会人野球チーム・旧日鉱日立の本拠地
万城寺球場があり、まだ、立教大野球部の選手だった長嶋茂雄が
この球場の試合で、大きく空振りした瞬間も見ている。
(当時、前立教大野球部の鬼監督だった砂押監督が日鉱日立の監督
になっていた関係で、こういう練習試合が行われたのだろう。)
ここ数か月の事務所整理作業で、新田次郎の小説『ある町の高い
煙突』が出てきた。また、まるで行方不明になっていたビデオ、
石原裕次郎の日活映画『今日に生きる』も出てきた。
ただ、数台あったビデオ機が壊れ、今では再生のしようがないと
諦めていたが、こう書きながら思い出したのが事務所にあるビデオ。
これで再生出来るかも知れない。
この石原裕次郎の映画『今日に生きる』は、日立市を舞台にした
映画で、今はなき我が小学校も舞台の一つになっていて、映画の
中で<入学式の風景>が撮影された。
当方などの下校時に、校門の階段に休憩で腰を下ろしていた女優
さん達の脇を通り抜けたこともあった。
「ボク? これ挙げる!?」女優さんが差し出したお菓子に目もくれず
走り出した田舎の子のぼくだった。
夕方から、父親の職場でもロケがあって「宍戸錠がいた・・・な。」
とか何とか夫婦で話していたのだが、この頃は日活映画を知らなか
った当方、「しし、ドジョウ」とはどんなドジョウなんだと、マジ、
不思議だったのだった・・・。
さてさて、今日は取り留めもなくダラダラと昔話を書いてしまった
が、新田次郎『ある町の高い煙突』では、旧制一高中退の市井の
活動家の煙害対策の活躍が描かれているが、何より日本の近代化
に邁進する一企業が、一方で大煙突建設以前から銅精錬に伴う煙害
とも真正面に向き合い、精錬所近隣の山々に常設の観測員を配置し
公害対策にもコストを厭わず真摯に対応した姿勢は賞賛に値するし
地元に生まれたものとしては実に誇らしい事実だ。
そういう煙害対策の取り組みがあった後に、さらに大煙突の建設
により煙害被害が極小化の途を歩むことになった。
今なお桜まつりに市民の憩いを提供し、つとに日立に桜が多いこと
は有名だが、元を辿れば、日立鉱山が桜が煙害に強い樹木であるこ
とから積極的に桜の植樹に努めたことに端を発する。
日立鉱山周辺の山を歩くと、桜のほかにオハグロの木が多いことに
も気づくがこれも同じ理由から来ている。
さて、日活映画『今日に生きる』にも出てくる、日立駅新駅整備で
今は無くなってしまったが、かつては、平和通り側の駅のほかに海
岸口と言われ「旧駅側」というホームでは繋がる古い駅舎があった。
そこへは、銀座通りと呼ばれた日立の目抜き通りから、常磐線の線
路を跨いで海側の旧駅(その語の海岸口)へと通る跨線橋があった。
映画では、どういう経緯か忘れたが、この跨線橋周辺から遠く、
画面上では阿武隈山系の末端をなす山々の風景の中、小さく爪楊枝
ほどもの小ささで、大煙突が佇立するカットが映っていた。
モノクロの画面、画面に被せた音楽の一つもなく、ただ静かで
小さな煙突だけが山並みに自然の中の唯一の人工物として佇立して
いた風景。
大煙突を語る時、煙突の麓近くの精錬所付近から見上げるという
よりか、この小さくて音もない「大煙突」が「大煙突」らしいと
思うのだ。
常磐線で日立駅から下り列車に乗ったとき、一駅先の小木津駅まで
の途中かどこか、筑波山に裏筑波があるように、富士山でも山梨側
の富士山があるように、「裏大煙突」が、山の陰になって先っぽ
だけ見えたような景色があったように記憶する。
これも、自分的には好ましい大煙突だった。
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プロフィール
HN:
5596DA(ゴーゴークロダの意)
性別:
男性
職業:
行政書士
趣味:
山歩き、自然散策、ドライブ
自己紹介:
ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
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日本森林学会会員
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