この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
このほどスタジオ撮影が終了した、NHK朝の連続テレビ小説『マッ
サン』のヒロイン・エリー役のシャーロット・ケイト・フォックスさん
は「日本が第2の故郷になった」と言う。
アメリカ人の彼女が、不慣れな日本での大役に挑んだ後にそう言った
と。
話が急にスケールダウンするが、生粋の茨城人である当方が、仕事に
日々の暮らしに一年を生きた新潟は、やはり当方には「新潟が第2の
故郷」になっている。
そんな訳で、今でも新潟の県域紙・新潟日報のWEB版を覗く癖が抜
けない。
今朝の同紙コラム「日報抄」は、中でも当方の暮らした同県下越地方
の話題だったから、一層惹かれて読んだ。
●新潟日報コラム「日報抄」(2015年2月22日付)
コラム記者が、村上市の山形県境近くの山熊田(やまくまだ)の集落を
訪ねたエッセー風の記事。
当方がいた頃の村上市は、山形県との県境には接していなかったから、
全国的な平成の市町村合併、あるいはそれ以降の合併を経て大分広域に
なった新・村上市なのだろう。
山熊田は、旧・山北町(さんぽくまち。村上市に異動になった頃は「やま
きたまち」と言って、地元のパートさんに訂正されたことがあった。茨城
でも、美野里町を他県出身者が「みのさとまち」と読んだのを得意気に訂
正したことがあったからお相子だったな。)の波打ち際スレスレの国道7
号線から山あいの道を大分入るようだ。
分県地図・新潟県(昭文社)を引っぱり出してチェックしてみたら、すご
い山の中に同所を発見。
村上市にいた頃、芭蕉の句にも残る、新潟と山形の県境・鼠ヶ関を抜けて
山形県鶴岡から月山へ、またある時は鳥海山へと走った時もあった。
だが、もっと軽便に山北・府屋から山際に向かい、右の山熊田ではなく左
に折れて、県境に位置する『日本国』というエライ大袈裟な名前の山に登
ったこともあった。
県境を過ぎると山形県旧温海町(現鶴岡市)という小俣集落が日本国の登
山口であったのだが、旧出羽街道に面し、戊辰戦争時には庄内藩と西軍(
政府軍)との激戦があったところであった。
新時代への幕開けの時代・庄内藩側53名(村上藩士4名含む)の戦死者を
だした激戦の地は、山あいの中にひっそりと静寂の中にあったが、畑仕事な
どで行きあうご婦人たちの忍者のような被り物、それから目だけを開けて、
顔一面を布で覆った姿は異様で、当時はアラブ世界に迷い込んだような錯覚
を憶えたものだった。
暗い印象の装束ではなくて、銘々が花柄などで最低限華やいだ装束ではあった
のだが、ふつうの人が目だけを出して被り物をしている景色というものを見た
ことがなかったもので、当時は非常に面食らった憶えがある。
その時は、小さな日本も広いものだ、まるで異なる風俗があると大ショックだ
ったのだ。
●関川の戦 民家に残る戊辰内陸戦最後の刀痕(ネット記事から)
●新潟県立歴史博物館2012春季企画展「かぶりものと女のモノ語り」に行っ
てみた(ネット記事から)
●人気ブログランキング へ
ランキングに参加中、よろしくお願い致します。
今日の「日報抄」がきっかけで、気になっていた戊辰戦争・出羽街道の戦いの
こと、新潟県・旧山北町の女性の覆面姿が調べられた。
中東ISの黒ずくめの戦闘員の姿を、よく映像で見ることがある昨今だが、花柄
ではあるのだが、かぶりものの女性の姿というのも、まあ、異常な姿ではあり
ましたヨ。
サン』のヒロイン・エリー役のシャーロット・ケイト・フォックスさん
は「日本が第2の故郷になった」と言う。
アメリカ人の彼女が、不慣れな日本での大役に挑んだ後にそう言った
と。
話が急にスケールダウンするが、生粋の茨城人である当方が、仕事に
日々の暮らしに一年を生きた新潟は、やはり当方には「新潟が第2の
故郷」になっている。
そんな訳で、今でも新潟の県域紙・新潟日報のWEB版を覗く癖が抜
けない。
今朝の同紙コラム「日報抄」は、中でも当方の暮らした同県下越地方
の話題だったから、一層惹かれて読んだ。
●新潟日報コラム「日報抄」(2015年2月22日付)
コラム記者が、村上市の山形県境近くの山熊田(やまくまだ)の集落を
訪ねたエッセー風の記事。
当方がいた頃の村上市は、山形県との県境には接していなかったから、
全国的な平成の市町村合併、あるいはそれ以降の合併を経て大分広域に
なった新・村上市なのだろう。
山熊田は、旧・山北町(さんぽくまち。村上市に異動になった頃は「やま
きたまち」と言って、地元のパートさんに訂正されたことがあった。茨城
でも、美野里町を他県出身者が「みのさとまち」と読んだのを得意気に訂
正したことがあったからお相子だったな。)の波打ち際スレスレの国道7
号線から山あいの道を大分入るようだ。
分県地図・新潟県(昭文社)を引っぱり出してチェックしてみたら、すご
い山の中に同所を発見。
村上市にいた頃、芭蕉の句にも残る、新潟と山形の県境・鼠ヶ関を抜けて
山形県鶴岡から月山へ、またある時は鳥海山へと走った時もあった。
だが、もっと軽便に山北・府屋から山際に向かい、右の山熊田ではなく左
に折れて、県境に位置する『日本国』というエライ大袈裟な名前の山に登
ったこともあった。
県境を過ぎると山形県旧温海町(現鶴岡市)という小俣集落が日本国の登
山口であったのだが、旧出羽街道に面し、戊辰戦争時には庄内藩と西軍(
政府軍)との激戦があったところであった。
新時代への幕開けの時代・庄内藩側53名(村上藩士4名含む)の戦死者を
だした激戦の地は、山あいの中にひっそりと静寂の中にあったが、畑仕事な
どで行きあうご婦人たちの忍者のような被り物、それから目だけを開けて、
顔一面を布で覆った姿は異様で、当時はアラブ世界に迷い込んだような錯覚
を憶えたものだった。
暗い印象の装束ではなくて、銘々が花柄などで最低限華やいだ装束ではあった
のだが、ふつうの人が目だけを出して被り物をしている景色というものを見た
ことがなかったもので、当時は非常に面食らった憶えがある。
その時は、小さな日本も広いものだ、まるで異なる風俗があると大ショックだ
ったのだ。
●関川の戦 民家に残る戊辰内陸戦最後の刀痕(ネット記事から)
●新潟県立歴史博物館2012春季企画展「かぶりものと女のモノ語り」に行っ
てみた(ネット記事から)
●人気ブログランキング へ
ランキングに参加中、よろしくお願い致します。
今日の「日報抄」がきっかけで、気になっていた戊辰戦争・出羽街道の戦いの
こと、新潟県・旧山北町の女性の覆面姿が調べられた。
中東ISの黒ずくめの戦闘員の姿を、よく映像で見ることがある昨今だが、花柄
ではあるのだが、かぶりものの女性の姿というのも、まあ、異常な姿ではあり
ましたヨ。
PR
ようこそ! くろだのブログへ
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリー
ブログ内検索
最新記事
(04/15)
(04/05)
(03/30)
(03/22)
(03/20)
(03/18)
(03/14)
(12/19)
(12/18)
(12/05)
(11/15)
(11/11)
(10/13)
(10/09)
(09/13)
(09/04)
(09/03)
(08/31)
(08/30)
(08/29)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
5596DA(ゴーゴークロダの意)
性別:
男性
職業:
行政書士
趣味:
山歩き、自然散策、ドライブ
自己紹介:
ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
最古記事
(04/21)
(04/22)
(04/23)
(04/25)
(04/26)
(04/27)
(04/28)
(04/29)
(04/30)
(05/01)
(05/01)
(05/02)
(05/03)
(05/04)
(05/05)
(05/06)
(05/07)
(05/08)
(05/09)
(05/10)
忍者ブログ、アクセス解析
アクセス解析
カウンター