この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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いやぁ、ガツンときましたね。
11日(日)の新聞広告でみて、昨夜読んでみた。
広告によれば「グローバルな下山の時代が始まった。もう、知らない
フリはできない。」「未曽有の時代を生きる究極のヒント!!」
とある。
世界第2の経済大国にまでのし上がって、一目散に頂上目指して奮闘
して来た日本。
しかし、頂上を経れば、登山は「下山」を安全に果たすまでが登山
だという。
日本も下山の時代に入っているのだと。
いや、腑に落ちましたね。五木寛之氏の言うコトで・・・・。
●ブログ『松岡正剛の千夜千冊』中の
<五木寛之「風の王国」新潮社>批評記事
この記事冒頭で、松岡氏は「五木寛之という作家は、若くして
流行作家となり、その後も浮沈なくマスコミを賑わしているように
見えるけれど、世間で思われているよりずっと、硬派です。」
と書いている。
当方なども、あのヘアスタイルで(最近知ったのでは、あの頭、
年に4回しか洗髪しない、とか。この際、それはどうでも良いが。)
サングラスなど掛けた姿ばかりがチラついて、軽薄な感じを拭えず
数十年彼の本を読んだことがなかった。
学生時代には、エッセイ集『風に吹かれて』『ゴキブリの歌』『地図
のない旅』をしっかり読み、彼の来歴に共感するところ大であった
のだが・・・・・。
東日本大震災後、数多の知識人といわれる人々が、<第2の敗戦>か
らの復興・・・・・・など叫んだものだが、ともすれば、従来より
の持論へと結びつける<我田引水>的なものが大半だった。
しかし五木氏は決して声高にならず、静かに口をついた言葉は
「下山の時代」。
この本の中で、五木は「民」という漢字の語源に言及している。
『漢字源』によれば<目を針で刺すさまを描いたもので、目を
針で突いて見えなくした奴隷をあらわす。《中略》物のわからない
多くの人々、支配下におかれる人々の意となる>とあるのだそう。
これを受けて五木は、下山の時代に生きていて、それを知っていて、
感じているのに「知らぬふりはもうしたくない」という。「<目に
針をさされた者>として生きるのは、いやだ、と思うのだ。」という。
「想定外」「ただちに」この二つの言葉が耳に残って消えないとも
語っている。
五木は朝鮮半島からの引揚者なのだが、敗戦直後のラジオニュース
を披瀝している。「治安は確保されます」「市民は動揺せずに現地
にとどまれ」というメッセージだったのだが、関係筋やその家族は
すでに脱出を始め、クソ真面目な庶民だけが平譲市内に取り残され
幾多の犠牲を生むことになった。
「それを知らなかったというのは、愚かだったとしか言いようが
ない。自分の足で情報を集めるという作業にも感心がなかったの
だろう。・・・・(略)・・・・・・ただラジオから流れる公式の
メッセージを、ひたすら信じて、現地にとどまっていたのだ。
一般市民というのは、そういうものなのである。」(同書から)
さて、先の新聞広告に国文学者・中西進氏が書いている・・・。
「”山は下りるためにある”
-----野なる者の沈思者の言葉が胸に響く。
この言葉はかつてないのではないか。」
下山の思想、しかも「もう、知らないフリはしてはならない」のだと
いう言葉が胸に突き刺さる。
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11日(日)の新聞広告でみて、昨夜読んでみた。
広告によれば「グローバルな下山の時代が始まった。もう、知らない
フリはできない。」「未曽有の時代を生きる究極のヒント!!」
とある。
世界第2の経済大国にまでのし上がって、一目散に頂上目指して奮闘
して来た日本。
しかし、頂上を経れば、登山は「下山」を安全に果たすまでが登山
だという。
日本も下山の時代に入っているのだと。
いや、腑に落ちましたね。五木寛之氏の言うコトで・・・・。
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<五木寛之「風の王国」新潮社>批評記事
この記事冒頭で、松岡氏は「五木寛之という作家は、若くして
流行作家となり、その後も浮沈なくマスコミを賑わしているように
見えるけれど、世間で思われているよりずっと、硬派です。」
と書いている。
当方なども、あのヘアスタイルで(最近知ったのでは、あの頭、
年に4回しか洗髪しない、とか。この際、それはどうでも良いが。)
サングラスなど掛けた姿ばかりがチラついて、軽薄な感じを拭えず
数十年彼の本を読んだことがなかった。
学生時代には、エッセイ集『風に吹かれて』『ゴキブリの歌』『地図
のない旅』をしっかり読み、彼の来歴に共感するところ大であった
のだが・・・・・。
東日本大震災後、数多の知識人といわれる人々が、<第2の敗戦>か
らの復興・・・・・・など叫んだものだが、ともすれば、従来より
の持論へと結びつける<我田引水>的なものが大半だった。
しかし五木氏は決して声高にならず、静かに口をついた言葉は
「下山の時代」。
この本の中で、五木は「民」という漢字の語源に言及している。
『漢字源』によれば<目を針で刺すさまを描いたもので、目を
針で突いて見えなくした奴隷をあらわす。《中略》物のわからない
多くの人々、支配下におかれる人々の意となる>とあるのだそう。
これを受けて五木は、下山の時代に生きていて、それを知っていて、
感じているのに「知らぬふりはもうしたくない」という。「<目に
針をさされた者>として生きるのは、いやだ、と思うのだ。」という。
「想定外」「ただちに」この二つの言葉が耳に残って消えないとも
語っている。
五木は朝鮮半島からの引揚者なのだが、敗戦直後のラジオニュース
を披瀝している。「治安は確保されます」「市民は動揺せずに現地
にとどまれ」というメッセージだったのだが、関係筋やその家族は
すでに脱出を始め、クソ真面目な庶民だけが平譲市内に取り残され
幾多の犠牲を生むことになった。
「それを知らなかったというのは、愚かだったとしか言いようが
ない。自分の足で情報を集めるという作業にも感心がなかったの
だろう。・・・・(略)・・・・・・ただラジオから流れる公式の
メッセージを、ひたすら信じて、現地にとどまっていたのだ。
一般市民というのは、そういうものなのである。」(同書から)
さて、先の新聞広告に国文学者・中西進氏が書いている・・・。
「”山は下りるためにある”
-----野なる者の沈思者の言葉が胸に響く。
この言葉はかつてないのではないか。」
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プロフィール
HN:
5596DA(ゴーゴークロダの意)
性別:
男性
職業:
行政書士
趣味:
山歩き、自然散策、ドライブ
自己紹介:
ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
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茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
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上記もろもろ、兼 おっさん。
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