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 この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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今日は、県行政書士会の研修「成年後見制度」の第4回目。


精神科医の立場からの<成年後見制度>の研修、及び社会福祉士の
立場からの<成年後見制度>の研修と、なかなか変化に富み、医師の
「鑑定」の流れや、医学的見地からのわかり易い「認知症」の講義は
大変役立ちましたね。


また、実際に成年後見制度に係わって「後見人」をされているという
社会福祉士の、現場に即した講義も興味深いものがありました。


我が会の研修も、問題意識の広がりと、多層型の立体的構成でなかなか
進化している感じが好感の持てるものでした。わたしゃ、ただ出席させ
て頂いてる身ではありますけれど・・・・・。


社会福祉士会は、平成12年4月にスタートした介護保険制度が始まる
2年も前から、「成年後見人養成研修」をスタートさせていたと今日
聞いて、驚かされるとともに、組織的社会貢献の志しの深さにも
感銘を受けましたね。



さて、超高齢社会へ向けてまっしぐらの日本、これからどうなるのやら。
なんとも心もとない年金制度と相まって、介護制度にも暗雲が立ちこめて
来たような昨今です。


今朝の読売の県版に、茨城県が試算したという団塊世代夫婦500組
が、県北地域に移住または、セカンドハウスを建て週末を過ごしたら、
今後30年間の経済波及効果が約552億円!!と出ていた。


ス、スゴイ!!一瞬そう思いますが、「ホントかね???」


営々とそこに住んで来た人々が、ドンドン離れて行くから「過疎化」が
進行し、年寄だけが取り残されるから「高齢化」が著しくなる訳で、
そんなところへ、首都圏の定年退職した団塊世代が夫婦で500組も
移住したり、別荘生活しに行くかっていうの!?


甘いーーーーーーーい!!


ま、県北地域の活性化は賛成です。何かの手立てを施して歯止めを
架けねばならないでしょう。
産業の振興?企業が行きたがらないもの・・・・・・。


で、年寄なら仕事なくたって、年金暮らしだから、問題なし。
うむ、そうだよね。そうだ!そうだ!!
・・・・なんて具合の経過のような気がするなーーー。


と、ところが、年金だって65歳からの支給年齢が、さらに引き上げら
れて、67歳に・・・が具体化されそうでしょう?
やがては、70歳から・・・、なんていうのが、控えている気がします
がそれで、県北の山間でどうやって暮らせってゆうの???


経済波及効果552億円。定年後30年間過ごしたら・・・って、
夫婦で、揃って90歳まで生きて、同じようにカネ落として・・・って
確かに算数的にはそうかも知れないが、まあ相当乱暴な計算のような
気が致しますです。

医療・介護費で約130億円落とすと見込めても、県や市町村の
負担分は計約12億円にとどまる見込みというから、まあ、どんな
計算だか?勝手にやれば・・・・、という世界っすな。


先ごろの歯科医一家の兄妹バラバラ事件、若妻の夫バラバラ事件とも
渋谷での事件。「渋谷」がキーワードでもあると、テレビでどなたか
が言っておりました。


ヤならさっさと離れれば良いものを・・・・、ところが、「渋谷」が
捨て切れなかった、のだというのですね。


そんなものかな?


私は、「自然」「田舎」大好き派!ですから、この辺の気持ちは
判りませんが、県の役人さんも<田舎者>だから判らないようです。


ある時、茨城大学農学部の公開講座に通った時のはなし。
大学の施設関係のオヤジとしゃべる機会があったのですが、
「いやー、騙されましたよ。失敗したーーー。」
「ほんと、失敗しました。」
「騙されたんですね。」

何をって?こんなド田舎に住むはずじゃなかったのに、(私はどんな
事情か聞きもしなかったが)こんなド田舎に住む不幸を芯から人生
の大失敗!のように、しきりに何度もいうのでしたね。


農学部は阿見町という土浦市の南隣の町で、昔は田園風景の真っ只中
でしたが、今は東京方面のベッドタウンとしても住宅も増えているとこ
ろ。何もあんなに<後悔する>ほどでもないと思ったものでしたが、
川崎かどこかに住んでたらしいその方、エライ心底落胆・後悔のご様子
でしたね。
ルックス的には、田舎っぽいオヤジで(茨城に)ピッタリ!に見えま
したが、本人は違うのですね。
<便利さ>を享受した人間には、島流しにでもあった感じらしかった。


ワタクシだって、5,6年前までは東京神田のビル街でシゴトし、夜も
11時、12時に電車に乗っていた身ではありますが、ビガビガの
ネオン街をそんなにいいとは思いませんでした。


でも、「便利な大都会、イノチ」みたいな種族があるようですのでね、
茨城県の職員さんも、そこんトコ、ヨーク考えて欲しい。


富士山とか北アルプスが見えるわけでもない、美味いサカナが獲れる
伊豆でも、房総でもない、那須高原でもない県北山間地に60過ぎて
30年も暮らすために移住なんかするかどうか???




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今年から介護保険法改正により介護情報公表制度が始まりました。

  介護情報公表制度とは・・・・。



さて、今日は少し早くに寝て、明日は頑張らねば・・・・。


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6日付東奥日報によると、介護保険法改正により今年から介護保険
事業所に義務化される「介護サービス情報の公表」制度の、青森県の
訪問調査員の養成研修が5日から始まったという。

茨城県は3月に終わり、この6月に厚生労働省での変更事項を反映
させるためのフォローアップ研修も済ませたところ。
まるで<焦眉の急>のように慌しく終えたのだが、青森は今頃始まった
とは・・・・・。まるで桜前線の北上を見るみたいに、自治体に
より時間差が出ていて少々驚かされた。

いずれにしても9月頃から調査員による事業所訪問がスタート、という
点では足並みが揃う見込み。「利用者が選択し易い情報の提供」へ
向けて初年度の年となるが、全国一律に精度の高い調査を目指したい。



さて、「老い」は誰にとっても<行く道>であり避けては通れない。
また「世代交代」も順送り、であるが、節目節目のステージ毎に
人の役目があるのであるから、「今」出来ることを前の世代のために
果たすことが、我が老後を充実させること、そう信じて行動するのみだ。



それにしても、先日我が事務所を訪れた会社員時代の先輩を
しみじみ見たら、齢それなりに老けて来ていていやはや驚いた。


パッと見、真っ先に気づくのは顔の老け・・・というが、顔が
老けると言うことは、体も老ける、器官も老けるということであり、
誰しも避けては通れない自然の摂理。解ってはいるが、鏡の向こう
の自分に叱咤激励してしまう。

まったく齢は摂りたくない・・・ものだが、今日あたりも娘が
自動車免許を取得して来るに及んでは、その成長がウレシクなく
はないのだが、それよりかは「己が齢」を考えると、内心、
またガックリ膝を付いてしまう・・・。


新聞広告などでも、<おしっこの出、気になりません?>なぞ言われ
るとドキッ!!としてしまう。

そんなわけで今日当たり『前立腺 男なら覚悟したい病気』(平岡
保紀著 祥伝社新書)などパラパラめくり出すと、前立腺肥大症の
罹患率は急上昇していて、50歳で50%,60歳で60%,70歳で
70%と、年代=パーセントと読めるほど年齢が進むほどそれに伴い
上昇しているとのこと。

中でもコワいのが、前立腺ガン。ガンのなかでも年々増えている。

著者の平岡先生おっしゃるには、「何より定期的検査」とは、
昨年秋に地元の県立中央病院の講座で聴いたことと一致しており、
あらためて肝に銘じなければ・・・と思ったことだった。


余談だが、同書の中に「古代ローマの男性の平均寿命が22歳、
最近の調査研究で推定された鎌倉時代の平均寿命が24歳」という。
(同書P22)
前立腺疾患などこの頃だったら絶対あり得ない疾患とあったが、
天寿の目覚ましい伸びとは光と影の関係ということなのだろう。


「まず人の名を忘れ、次に顔を忘れる。それからチャックを上げる
 の忘れ、次にチャックを下げるのを忘れる」
(『すごい言葉』 晴山陽一、文春新書)

平岡先生が前掲書の中で引いているものの、そのままの引用である
が、アメリカ大リーグの名マネージャーだったブランチ・リッキー
(1881~1965)の言葉という。

脳が衰える段階毎を軽妙に表現したジョーク・・・・というが、
私ほどの年齢になってくると、単純には笑い飛ばせず、
平岡先生同様、悲しさを感じ取った方が先だった。


あなたはどうお感じになられるだろうか?


●参考文献
『前立腺 男なら覚悟したい病気』平岡保紀 祥伝社新書 039





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私は、母を71歳で亡くした。

当時私はバリバリの管理職。教員の弟も学年主任をしていたのだったか、
いずれにしても「働き盛り」の真っ只中であった。

その頃、母が胃がんになった。
ふたり住まいになっていた両親は、二人で病院へ行き、入院支度も
二人で、というより父が付き添い、母が指示して準備したのだと
思う。

二人は「働き盛り」の息子達に遠慮というよりも、息子達を慮って、
敢えて連絡もせず、入院した。
今思えばそれぐらい、母は元気だったし、父も一家の主らしい振る舞い
が出来ていた、のだろう。

だが、(私と同年齢ほどの)母の主治医は<それが許せなかった>ら
しい。耳が遠い夫だけが付き添い、妻ががん患者。なんとも不憫な
老夫婦と、人非人の子供ら、と映ったのだろう。
『ボクから言いましょうか?』『いいえ、いいんです。どうぞ、そんな
ことはしないで下さい・・・・。』

主治医は、<患者>以上の思いで母を思ってくれた。

しかしその時点では、子供たちとしては知らされていなかったのだから
仕方がない。豆に連絡を取るべき・・・と言われるかも知れぬが、
露ほども親の弱りを考えない時期には、それより自分の眼の前の
課題を解決する日常の方が、どうしても大きいものだ。
父も自分たちで身の回りのことは解決出切る・・・・と考えていたのだ
と思う。そういう父であった。


手術の日、子供たちは病院にいた。
主治医のところにゆくと、切除した母の胃を見せられた。
先の事情からか、コチラを見た医師の視線に一種刺すような光が
あったような気がした。
東北大を出たというその若い医師は、色白のいかにも賢そうな
顔であったが、さらに「医は仁術」のハートさえ備えていた。

手術は成功です、の言葉に、兄弟は心から深謝し深々と頭を下げた。


しかし、程無く母は<みぞおち>あたりに違和感を訴え、再入院と
なった。
がんの転移が見られるという。余命3ヶ月。

「あれほど、全部患部は切除したので問題はない。」と言ってくれたのに。医師は最後まで面倒を見させて欲しい・・・といったが、もう、
到底その気にはなれなかった。
なにせ、時間がない・・・・・・・!

仕事を抱えて、日立まで80キロを毎日通うのはムリ。もう治らない
とすれば、勝手かもしれないが、友部の病院に転院させて、毎日通って
あげるのが最後の親孝行・・・・。

それから友部の病院で、母の受け入れのお願いをし、日立の病院に転院の
お願いをし、転院の日取りを決め、主治医が最後まで面倒を見る・・・の
言葉を振り切るように転院した。


車の後部座席に枕をしつらえ、高速道を走った。
日立の大煙突が見える脇を通った時には、「ほら、大煙突が見えるよ!」
と運転しながら母に見せた。
もう、今日以外絶対に母は見ることもない・・・と確信しつつ。
娘時代を過ごし、勤め、結婚し、子供を産んで、と、ことあるごとに
見ていたはずの見納めの「大煙突」を見せた。日立の象徴だった。


15時の入院を前に、我が家に寄った。
たしかもう、たいして食べられなかったのだと思うが、軽く遅い
昼食を済ませ一服。
「じゃあ、行く?」母を促し、席を立った。
母は治す意欲に満ち、新しい環境への軽い緊張もあってかハイな
気分であった。
庭に梅が咲きだしていた。「おや、梅だ。咲いてる。」母は指差し
元気いっぱいに車に乗った。


新しい病院では、個室を宛がわれ家族水入らず何の遠慮なく話が出来た。
前の病院では4人部屋。生来勝気の母は、そのうちの誰かと気まずく
なり、その意味でも今日からの病院は天国のような環境だったに違いない。
「良かったよォ・・・」母が心の底から言った言葉だった。

小さい病院なのに、末期がん患者の受け入れ。
医師の厚意とは別に、看護婦(当時)の負担が思われたが。

当然に前の病院からの紹介状、画像資料その他持参の入院だったが
病院に入った直後、またレントゲン撮影があったり、それなりの検査
があったりした。
17時ごろだったか、夕食があり、それでその日の日課は全部無事
終わった。今度は私らの夕食支度のため、妻を先に帰宅させた。

病院は閑散として、一安心も二安心もした家族。
何の遠慮もない個室、ラジカセでも持ってくる話をして、「何が聴き
たい?」と聞いたら、美空ひばりという。同じ戦後を同じように歩いて
来た歴史を思った。
(結局その後、悪くなるばかりになった母は、一度も美空ひばりを
 聴く気にならなかったが・・・・)

話は逸れたが、もう夜も20時近くになっていたろうか。
私と父は「また、明日」と病室を出た。長い一日がやっと終わろう
としていた。
ふうっ、やっと安心。軽い気持ちで休憩室に寄った。

そこには先客があった。60代位の婦人とその連れらしい20代の男の
お孫さんらしかった。それと、この病院のかなり年配のX線技師。
ご近所同士ででもあるのか、だいぶしみじみ口調で話し込んでいた。
この技師、帰る間際の雑談らしかった。

やがて話題が変わった。
「今日入ったおばあさん、もう顔も真っ黄色。目の白目も黄色いんだ
もの。もう、ああなったら人間終わりだね!・・・・・・・」

別に聴いていたわけではなかったが、後は誰もいないこの時間の
休憩室。誰のことを言われたかは即座に解った。私はその男の顔を
まじまじと見た。
相手は全然、こちらがその息子と夫だなんて夢ひとつも考えていない
様子。私はあきれ返ってスックと立ち、父に「帰るよ・・・」と
促した。父の幸せは、耳が遠くキョトンとしていたこと。


外は真っ暗で、いつの間にか雨が降っていた。
黙って父を乗せ家路についた。水滴で前が見にくい。ワイパーが
動くリズムで、考える。<ああなったら人間終わりだね・・・>
<ああなったら人間終わりだね・・・><ああなったら・・・・>

込み上げて来る悔しさ、込み上げて来る怒り・・・・。
父子は車中黙ったまま走る・・・。
父はまだキョトンと、息子のダンマリの意味など理解していない。
高台の団地下の交差点まで来た。
直進しても、右折しても自宅へと向かう。しかし、ムカッといよいよ
来て、左折する!!
また、病院へと向かった。

駐車場で父を車に残し、当直看護婦室へ行った。

「どういうことなんですか!」「今日やっと安心したのに、そのつかの間
・・・・・」当時私は民間のサラリーマン勤め、まだ、「守秘義務」
などという言葉を知らなかった。しかし、今日のこの日に向かって
仕事も休んだりして調整し、行動して来た事が全てぶち壊しになり
そうな気配に怒っていた!!それより何より母の安心を壊されそうな
状況に暴れそうなぐらい憤怒していた!!

黙って聴いていた看護婦(当時の呼称)、涙ながらに切り出した。
「自分も父親を2ヶ月前にがんで亡くした。患者さんの気持ちは
良く解る。明日院内で報告する・・・云々・・・」
私は、その涙に納得しその場を辞した。


母は梅ほころんだ2月に入院し、窓外に鯉のぼりが見えた頃。
医者が言ったとおりに、ちょうど3ヶ月目にこの病院から旅立ちました。

私は「守秘義務」を、歯を喰いしばった体感として、理解している
積りです。


<環境と高齢者福祉をみつめる>などと標榜して置きながら、
一向に高齢者福祉について書いて来なかった。


ま、どの道制約のどこにも触れるようなところもなく、
我が両親の人生終末期と医療福祉、介護保険制度との係りのみが、
強いて言えば当方の高齢者福祉への関心の原点であったとはいえる
のだが。


きょう日どこの家庭でも核家族化が進み、三世代同居ないしは大家族
の家庭などは少ない。よって、自分の若い時分に、同居の年寄りを見
取るというような体験がないまま育つものだから、身内の生死といっ
たら大概が自分の親になって初めて出くわすことになる。

ご他聞に漏れず、自分の場合もそうであった。
親の病気、老後に遭遇して、初めて身内の生き死に出会うことにな
ってしまった。
つまろところ、我が親が身を挺して、私に医療問題、高齢者介護の
現実を目の当たりに示し、解決を迫り、大局からの展望の視点さえ
も教えてくれたと思うのである。

当ブログは、当方の関心の向くまま、環境・自然分野、動物法務がらみ
でのペット・動物関係の事どもなどを記して来た。加えて、上記に
縷々書いて来たように本来は高齢者福祉もまた、当方の関心を寄せる
分野、あるいはオーバーに言えば父母から与えられたバトンとも思う
ところもあるため、今後はこの分野についても、純粋、制度の一享受
者としての視点からしか書けないが、書いて行きたいと思う。


えらく理屈っぽい書き出しであったが、今後の鑑としてご理解いただき
今日のところはお許しを願いたい、と思う。


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HN:
5596DA(ゴーゴークロダの意)
性別:
男性
職業:
行政書士
趣味:
山歩き、自然散策、ドライブ
自己紹介:
ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
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