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 この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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そうだった。
今日が3.11の日だったのだ。



先ほど、午後13時過ぎの頃までは憶えていたのだが、肝心の
午後2時46分には、つい忘れてしまって、思い出したのが午後
3時を回ってしまっていた。

今朝の新聞に政府広報が出ていて『東日本大震災で 犠牲とな
られた方々への 追悼をお願いします』と見出しがあった。

その脇に、見出しより小さい文字で『皆様には、午後2時46分
から1分間の黙とうをお願いいたします。』


それだというのに、つい忘れてしまって・・・・・。


あれから、もう7年が経つのですね。



●「奇跡の一本松」前に祈り・・・「忘れられていく」
(2018年03月11日09時42分 読売新聞)



記事中に『震災から7年経過したが、観光客も減り、被災地が忘れ
られていくように感じる』(陸前高田市の会社員男性の声)とあっ
た。

人的被害だけでも、死者1万5895人、行方不明者2539人、
震災関連死3668人(今朝の読売新聞報道による。)という大災
害だったのに、『忘れられていく』悲しい現実がある。




7年前のあの日、我が家の場合は、家人はまだ仕事をしていて、小
学校に勤務中にこの地震に遭遇した。型通りの避難訓練が現実になっ
た生涯でも唯一の日になったらしい。

当方は東北地方の大学院を卒業予定だった娘と、就職後の足調達のた
めの車を物色するため、ひたちなか市のディーラーに行き、その車展
示場で未曽有の揺れの直撃に会った。
コンクリート敷の地面がうねり、付近の電線が上へ下へ激しく揺れた。
ほどなく、ディーラーの建物の特大のガラスが何度かたわんだ後、音を
立てて割れ、破片が一面に飛び散った。

(この年大学の卒業式は無くなり、後で卒業証書が送られて来るという
親にとってもホロ苦いものとなった。)


息子はもう就職していたのだが、後で聞けば、なんとよりによって、
東京都内でこの地震とその後の大混乱に遭遇していたのだという。

たまたま休日とかで、東京に買い物に出て、見ず知らずで居場所など
皆無の中、大都会の混乱の坩堝に投げ込まれた。
非難途中に歩道脇のデザイン会社の方に声を掛けられ、そのビルの一
室で、一晩夜露を凌げる幸運に恵まれたのだった。



7年前のこの日。
夕方5時を回った頃、近くのコンビニ前を通りかかると、停電で真っ
暗な店内は、普段など客の姿を見かけないような店だったのだが、こ
の時ばかりは、黒山の人だかり・・・・・。

近所の店舗の異常な景色を見ただけで、東北地方の被害状況などまだ、
情報がほとんど手元にない中、<社会的異常事態>の惹起を肌身に感
じた瞬間だった。


この日の夜中、というより12日になった午前2時過ぎ、当初予定の
あった、ある場所へと向かったのだったが、途中の国道には車一台走
っておらず、自分の車のヘッドライトが切り裂く前方以外は全てが深
い闇の中にあり、また、一切の音がない無音の静寂であった。

後にも先にも、光のない闇と無音の静寂の貴重な体験の震災の夜だった。

出掛けに聞いた茨城放送のニュースが、「未確認情報ですが、(黒田注:
気仙沼だったか)海岸に無数の遺体が折り重なって流れ着いているとのこ
とです・・・・・」とアナウンサー自体、ことの重大さが不鮮明なままで
報じているその緊迫感は、未だに形容し難く記憶の底にこびり付いている。



そして、この日から、東北地方の方々から比べたら言うのもおこがましい
のだが、それなりの震災直後の苦難が始まった。

停電による暗闇、ろうそくの火による暮らし。暖房もないから布団に包ま
ってのミノムシ生活。自衛隊による給水のお世話にもなった。
家人と娘が集会所の炊き出しでオニギリを貰ってきたりもした。生まれて
初めて<人様から食い物を貰った>経験。
やがて、ガソリンスタンドで早朝5時頃からの長蛇の列にも並んだ。



こんな暮らしを現実にしたというのに、今じゃ、水やら食糧の備蓄だって
またもや元の木阿弥になっている。

首都直下型地震、南海トラフ巨大地震の30年以内の発生確率が「70~
80%」に引き上げられたというのに、だ。


東日本大震災7周年追悼の日の今日、あらためて肝に銘じたい。





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よろしくお願い致します。

同じく今朝の読売新聞。
県版には今も<復興支援バス>を宮城に向けて走らせているバス会社の記
事が出ていた。

このバス、正式には「復興ボランティアバス」というのだが、水戸市の
石塚サン・トラベルという会社が運行させていると。

日帰り運行で、早朝午前4時頃水戸駅南口発。大型バス2台で各30名
ぐらいのボランティアが乗り込むという。



午前8時50分頃、北上川河口近くの旧石巻市立大川小学校に到着する。

ここで、震災遺構として残すことが決まった大川小学校敷地のボランティ
ア清掃活動をして、その後は石巻市や東松島市の復興の様子を視察しながら
帰路に就く。(以上は読売記事を参照して記載した。)



実は当方も、2年ほど前に、地元社協の企画でこのバスのお世話になった
ことがあった。


旧大川小学校での清掃活動のため、長靴を用意し、この日のためにゴム手袋
をワザワザ買いに行って支度し乗り込みましたヨ。

小学校に着く10分前の頃に、ドライブインに立ち寄り、最後のトイレ休憩
が入る。


旧小学校は、広い敷地ながら戦場跡のような場所。トイレなどもありません
し、児童78名中74名死亡、教職員(所属13名)中、校内にいた11名
のうち、10名死亡。ほかにスクールバス運転手も死亡という場所ですから、
立ションは厳禁。
慰霊碑に線香を手向けたのち、清掃活動に入ります。


よって、初めて行くと目を白黒させてしまうのですが、目的地の小学校を目前
にしてのトイレタイムには重要な意味があったことが、現場に行くとしみじみ
判るのです。


問い合わせは、「石塚サン・トラベル」TEL029-303-7650
確かホームページから同社の取組みが見られたと思います。


『被災地を忘れない・・・』ために、一度は参加されるのもお薦めです。
延々と続く建設中の防潮堤にも立ち寄らせてもらって、その上から復興の
槌音を聞いたのも貴重な体験でした。


●日報抄 2018年3月11日付 (新潟日報WEBより)




と今日の分を書き終えたハズが、以下のようなネットニュースに出くわして、
急遽追加です。

●「東北が大好き!」「あの日をわすれないよ」3月11日、NHKのテレビ
 欄「縦読み」に反響
(2018年03月11日17時10分 J-CASTニュース)




いやはや、テレビ欄の縦読み、全然気が付かなかった・・・・・。
NHKもシブイことしますナ!!



しかも、今段階でNHKの公式ページなどでは、このことに一切触れていない
という。

作った人も凄いけど、世の中の気がついた人にも脱帽だナ・・・・。

ま、お互い支え合って作って行くのが社会だものね。





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行政書士
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自己紹介:
ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
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