この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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夜になってからの雷雨があがり、今は煌々とした丸い月が照っています。
日中、遅ればせながら盆の墓参りに日立まで。
昨日は常磐道日立北付近で、32キロもの大渋滞だったらしいのですが、
今日は、当然いつもの流れとは雲泥の交通量でしたが、それでも渋滞も
なく走れていましたから、何よりでした。
水戸インターで、ETC口を走り抜けようとしましたら、あらら、バー
が上がりません。
ハザードランプを点滅させながら、掟破りのバック走行を強行。
しーませんねェーー。
本線に乗ってからチェックしましたら、カードの期限切れ!!
そういえば・・・、新しいの来てたっけ!?
マヌケしちまいましたーー。
バーの真ん前で停まりましたから、後ろの車来てなくて良かった。
バックするな、と言いますが、こういう場合「どうする?」のが
正しいんだろ???
北京オリンピックが今やたけなわ。
日々一喜一憂の毎日です。
さて、明日は8月15日。終戦記念日です。
北京オリンピックで、終戦特別番組など何処にも見当たらないので
しょうね。
当方だって、「戦争を知らない子供たち」のひとりではあるのですが、
そこそこ分別を弁えた年齢に達しておりますので、後世の世代への
責任も感じますから、やはり<忘れてはいけない>ことは、キッチリと
認識していなくては・・・・、と感じております。
13日付読売新聞によりますと、<東条英機元首相が、太平洋戦争終結
直前の1945年8月10日から14日に書いた手記が、国立公文書
館に所蔵されていることがわかった。>と出ていました。
13日には、「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごと
き国政指導者及国民の無気魄なりとは夢想だもせざりしところ、これに
基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深く
責を感ずる」と自分の考えを記し、当時の鈴木貫太郎内閣や国民を批判
している。
昭和史に詳しい作家の半藤一利さんは「・・(略)・・・戦況の不利を国民や
当時の指導者のせいにする本音が表れていて面白い。・・・(略)
(いずれも、2008年8月13日付読売新聞記事引用。半藤氏の(略)
は、黒田が前後を省略した。ご関心の向きは同記事を参照されたい。)
太平洋戦争での日本軍の死者数は約230万人(朝鮮、台湾出身者5万人
を含む)、銃後の一般市民の死者数約80万人。あわせて約310万人がこの
戦争での死者数として公表されている数字です。
死なずとも、日本の全国民を辛苦・悲惨の運命に巻き込んだ戦争であった
わけですが、その戦争突入時の首相が東条英機だったのでした。
戦争末期には、直接の指導者ではありませんでしたが、軍の強硬派に隠然と
影響力を発揮し、本土決戦一億玉砕への道を進もうとしたわけですが、
今回の手記でも、戦争継続をあきらめていなかったことがわかる(半藤氏)といいます。
最近手に取った■阿川弘之『大人の見識』新潮新書にも、東条の悪
辣・横暴の極みが書かれています。阿川氏は、半年繰り上げで東大
を卒業させられ、学徒動員で戦地に赴いた若い世代ですが、その若
さの中にも、既に東条の指導者としての小粒ぶりを看破し、
戦後にも作家として洞察し、このような政治指導者をもった日本の不
幸・悲劇を指摘しています。
ま、このどう仕様もなさの、詳しくは上記の本を読んで頂きたいと思う
のですが、「竹槍では勝てぬ」と書いた新聞記者を一兵卒として懲罰召集
してしまう(私怨を晴らす為の召集が72名と。)とか、陸軍大学恩賜
の時計組と言われ、首席卒業の秀才ということですが、まー、女みたいな
(女性が読んでいたら失礼。)やな野郎です。
「生キテ虜囚ノ辱ヲ受ケズ、死シテ罪禍ノ汚名ヲ残スコト勿レ」この
「戦陣訓」を作った張本人が、この東条英機なのです。
日本軍の無益な玉砕で、何十万という若者を死なせた訳ですが、
進駐軍に戦犯容疑で連行されるその時、拳銃自殺を試みるのですが、
失敗して手当てを受け救命され、東京裁判にかけられることになります。
約310万人の日本人を死者としながら、自分で本当に死ぬつもりなら、
頭に銃口を当てれば一発のはずが、胸を狙って助かってしまうのです。
辛らつに書いていた阿川氏ですが、この生き残って東京裁判の法廷に
立って以後のことは「立派だった・・・」と書いていますが、戦勝国に
よる復讐の意味合いが強かったこの裁判に立つ前に、自分の身を処す
術はあったはずでした。
極東軍事裁判について書かれたものを、読んだことがありませんので、
状況を今日は論評出来ませんが、首相と陸軍大臣と参謀総長を兼任し、
でいながら、「局長ならば名局長」(前出阿川氏著書)と言われたよう
に、コチョコチョ朝から晩まで動いていたそう。「街角のゴミ箱を開け」
「火の見櫓に登り」、魚市場を視察したりと一国の首相のやることで
もなかろうと、死んだウチの親父なども歯軋りしていたそうですから、
どうしようもなかった。
腹減らして、矢玉尽きて玉砕させられた兵隊は浮かばれません。
顔中蛆虫に集られ、それを追い払う力もなく亡くなった傷病兵やら、
ジャングルで白骨化した兵隊、40度もの地熱の地下壕で玉砕も許され
ず最後まで死闘の末に、米軍の火炎放射で焼き殺された兵隊たち・・・。
日本国民の、太平洋戦争での戦没者約310万人。
阿川氏は、「日本人の軽躁性」と指摘しています。
中国人文筆家陶晶孫という人が、日本人に欠けている心情として、
ユーモアとメランコリーと指摘しているとも紹介しています。
日本人に欠けているこの心情を、以外と持ち合わせた人物として阿川氏
は、吉田茂を挙げていますね。
以下はその一部。
面倒なブログとなってしまいましたから、その一部を引用してお開きに
しましょう。
終戦直後の吉田が外相時のこと。
お濠端の進駐軍総司令部へ行って、
「GHQとはどういう意味ですか」
と聞いた話があります。
「ジェネラル・ヘッド・クォーターズの略で」
と勿体ぶって答えるマッカーサーに、
「ああ、そうでしたか、私はGo home quickly!の
略かと思っていた」
と吉田外相が言い返したそうで、・・・・(略)・・・・・
この吉田さんのお孫さんという自民党・麻生さん、
前回の総裁選挙時、福田さんに向かって、
「キャラが立つーーーーー、と言うのはね・・・」なんて講釈語って
いましたが、ちょっと、あまりにラベルがねェーーーーーーー。
●人気ブログランキング へ
ランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。
先日、「高校・要点がわかる日本史B」という古本を買ってみました。
入試用の古本ですからね、100円でした。
頭の整理用になかなかバカにしたものでもありません。
特に、明治、大正、昭和の政治・経済関連がウロ覚えのところが
ありますから、グウーでした。
数年前、旅行会社の企画で、自衛隊武器学校でしたか、富士の麓の
基地祭を訪ねたことがありました。
そこでの演習を見る機会があったのですが、榴弾砲の射撃実演。
もの凄いですよ。もうホント「カミナリ」のような大音響!!
実戦では、人間が吹き飛び、肉が砕け散り・・・、地獄図絵と
なるのでしょう・・・・。
戦争は反対・・・・、だな・・・・・。
日中、遅ればせながら盆の墓参りに日立まで。
昨日は常磐道日立北付近で、32キロもの大渋滞だったらしいのですが、
今日は、当然いつもの流れとは雲泥の交通量でしたが、それでも渋滞も
なく走れていましたから、何よりでした。
水戸インターで、ETC口を走り抜けようとしましたら、あらら、バー
が上がりません。
ハザードランプを点滅させながら、掟破りのバック走行を強行。
しーませんねェーー。
本線に乗ってからチェックしましたら、カードの期限切れ!!
そういえば・・・、新しいの来てたっけ!?
マヌケしちまいましたーー。
バーの真ん前で停まりましたから、後ろの車来てなくて良かった。
バックするな、と言いますが、こういう場合「どうする?」のが
正しいんだろ???
北京オリンピックが今やたけなわ。
日々一喜一憂の毎日です。
さて、明日は8月15日。終戦記念日です。
北京オリンピックで、終戦特別番組など何処にも見当たらないので
しょうね。
当方だって、「戦争を知らない子供たち」のひとりではあるのですが、
そこそこ分別を弁えた年齢に達しておりますので、後世の世代への
責任も感じますから、やはり<忘れてはいけない>ことは、キッチリと
認識していなくては・・・・、と感じております。
13日付読売新聞によりますと、<東条英機元首相が、太平洋戦争終結
直前の1945年8月10日から14日に書いた手記が、国立公文書
館に所蔵されていることがわかった。>と出ていました。
13日には、「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごと
き国政指導者及国民の無気魄なりとは夢想だもせざりしところ、これに
基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深く
責を感ずる」と自分の考えを記し、当時の鈴木貫太郎内閣や国民を批判
している。
昭和史に詳しい作家の半藤一利さんは「・・(略)・・・戦況の不利を国民や
当時の指導者のせいにする本音が表れていて面白い。・・・(略)
(いずれも、2008年8月13日付読売新聞記事引用。半藤氏の(略)
は、黒田が前後を省略した。ご関心の向きは同記事を参照されたい。)
太平洋戦争での日本軍の死者数は約230万人(朝鮮、台湾出身者5万人
を含む)、銃後の一般市民の死者数約80万人。あわせて約310万人がこの
戦争での死者数として公表されている数字です。
死なずとも、日本の全国民を辛苦・悲惨の運命に巻き込んだ戦争であった
わけですが、その戦争突入時の首相が東条英機だったのでした。
戦争末期には、直接の指導者ではありませんでしたが、軍の強硬派に隠然と
影響力を発揮し、本土決戦一億玉砕への道を進もうとしたわけですが、
今回の手記でも、戦争継続をあきらめていなかったことがわかる(半藤氏)といいます。
最近手に取った■阿川弘之『大人の見識』新潮新書にも、東条の悪
辣・横暴の極みが書かれています。阿川氏は、半年繰り上げで東大
を卒業させられ、学徒動員で戦地に赴いた若い世代ですが、その若
さの中にも、既に東条の指導者としての小粒ぶりを看破し、
戦後にも作家として洞察し、このような政治指導者をもった日本の不
幸・悲劇を指摘しています。
ま、このどう仕様もなさの、詳しくは上記の本を読んで頂きたいと思う
のですが、「竹槍では勝てぬ」と書いた新聞記者を一兵卒として懲罰召集
してしまう(私怨を晴らす為の召集が72名と。)とか、陸軍大学恩賜
の時計組と言われ、首席卒業の秀才ということですが、まー、女みたいな
(女性が読んでいたら失礼。)やな野郎です。
「生キテ虜囚ノ辱ヲ受ケズ、死シテ罪禍ノ汚名ヲ残スコト勿レ」この
「戦陣訓」を作った張本人が、この東条英機なのです。
日本軍の無益な玉砕で、何十万という若者を死なせた訳ですが、
進駐軍に戦犯容疑で連行されるその時、拳銃自殺を試みるのですが、
失敗して手当てを受け救命され、東京裁判にかけられることになります。
約310万人の日本人を死者としながら、自分で本当に死ぬつもりなら、
頭に銃口を当てれば一発のはずが、胸を狙って助かってしまうのです。
辛らつに書いていた阿川氏ですが、この生き残って東京裁判の法廷に
立って以後のことは「立派だった・・・」と書いていますが、戦勝国に
よる復讐の意味合いが強かったこの裁判に立つ前に、自分の身を処す
術はあったはずでした。
極東軍事裁判について書かれたものを、読んだことがありませんので、
状況を今日は論評出来ませんが、首相と陸軍大臣と参謀総長を兼任し、
でいながら、「局長ならば名局長」(前出阿川氏著書)と言われたよう
に、コチョコチョ朝から晩まで動いていたそう。「街角のゴミ箱を開け」
「火の見櫓に登り」、魚市場を視察したりと一国の首相のやることで
もなかろうと、死んだウチの親父なども歯軋りしていたそうですから、
どうしようもなかった。
腹減らして、矢玉尽きて玉砕させられた兵隊は浮かばれません。
顔中蛆虫に集られ、それを追い払う力もなく亡くなった傷病兵やら、
ジャングルで白骨化した兵隊、40度もの地熱の地下壕で玉砕も許され
ず最後まで死闘の末に、米軍の火炎放射で焼き殺された兵隊たち・・・。
日本国民の、太平洋戦争での戦没者約310万人。
阿川氏は、「日本人の軽躁性」と指摘しています。
中国人文筆家陶晶孫という人が、日本人に欠けている心情として、
ユーモアとメランコリーと指摘しているとも紹介しています。
日本人に欠けているこの心情を、以外と持ち合わせた人物として阿川氏
は、吉田茂を挙げていますね。
以下はその一部。
面倒なブログとなってしまいましたから、その一部を引用してお開きに
しましょう。
終戦直後の吉田が外相時のこと。
お濠端の進駐軍総司令部へ行って、
「GHQとはどういう意味ですか」
と聞いた話があります。
「ジェネラル・ヘッド・クォーターズの略で」
と勿体ぶって答えるマッカーサーに、
「ああ、そうでしたか、私はGo home quickly!の
略かと思っていた」
と吉田外相が言い返したそうで、・・・・(略)・・・・・
この吉田さんのお孫さんという自民党・麻生さん、
前回の総裁選挙時、福田さんに向かって、
「キャラが立つーーーーー、と言うのはね・・・」なんて講釈語って
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特に、明治、大正、昭和の政治・経済関連がウロ覚えのところが
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行政書士
趣味:
山歩き、自然散策、ドライブ
自己紹介:
ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
日本自然保護協会・自然観察指導員
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