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 この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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10月15日(木)からNHKで始まったドラマ、『ぼんくら』が
意外と面白い。

15日の1回目は見逃してしまったのだが、深夜やった再放送
を録画して観て、昨日までの3回まで全部観た。

●NHK木曜時代劇 『ぼんくら』(公式HP)


宮部みゆき原作の傑作時代劇人情ミステリーをドラマ化と謳って
いるが、不勉強ゆえ、宮部みゆきという作家を知らなかった。

宮部氏の小説による、江戸深川の鉄瓶長屋を舞台に、深まる謎を
追う南町奉行所同心・井筒平四郎が主人公のドラマで、どこか心
もとない飄々とした同心を岸谷五朗が味わい深く演じ、また、出
ずっぱりで演ずる、世話好きな長屋のおかみさん・お徳を松坂慶
子さんが。

脚本から大道具まで、細部に拘った気合の入ったドラマ作りで、引
き込まれる上質の仕上がりだ。

韓国現代劇ドラマの、路地の地面のはずが人物が歩くと、明らかに
板張りの音が聴こえて、途端にシラケるのと違って、雨の降りしき
る長屋の夜更け、軒先から地面に雨粒が落ちる場面では、軒下の地
面にはもう何十年と雨粒が落ちたからだろう、自然に出来た小さな
ミゾに雨水が溜まる・・・。このリアリティ。


どこか藤沢周平に通じる何かがあるような気がして、急に宮部みゆ
きに興味が湧いた。
ウィキペディアでこの作家の項を引いてみると、なかなかの叩き上
げの人で二度びっくり。

職務上での相談でもよく出会う借金問題を理解するのにもイイかな、
と思い、まずは『火車』から取り寄せてみた。
まだ全部は読んでいないのだが、出だしから読ませる。


関東地方にボッサボッサと雪が降る夜。きっと交通機関は止まってし
まいそうなそんな夜、それでも相談者は訪ねて来た。

よほど、切羽詰まった深刻な悩みなのだな、と主人公は思う。

ビジュアルに判る映画やドラマではないのに、かえって鮮明に映像が
クッキリと浮かぶ筆力・・・・。

新潮文庫『火車』の解説を経済評論家の佐高信が書いている。
その文の冒頭、宮部みゆきが藤沢周平についての座談会で語ってること
から書き始めている。

やっぱり・・・・・。

宮部みゆきは藤沢周平に一角ならぬ思い入れがあったのか・・・。


また、佐高氏が小説本の解説を書いていたのが意外だったのだが、
評論家の看板を張っているような人物はやはり、広い視野で本に触れ
ているのがしみじみと判った。

佐高氏に50冊のフィクションを選んで解説した岩波新書の『戦後を
読む』という本があるのも知った。小説はあまり読んで来なかった故、
事典替わりにもなるかな、と早速に発注してみた。



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昨夜のテレビ、NHK『クローズアップ現代』は<知の巨人・宇沢弘文
幸せの経済学とは>というタイトルで、評論家の内橋克人氏が解説して
いて興味深かった。

長らくノーベル経済学賞の候補と評された元東大名誉教授の人と業績を
伝えていたが、この先生も知らなかった。ほんと人生は一生勉強だと
思いますね。


現代の格差社会の元凶・市場原理主義を鋭く批判して来た内橋氏が、心
底共感する宇沢先生を熱く語る番組は、あらためて意義深いものだった。

どこに置いてあったかな?と■内橋克人著『ネオリベラリズム循環 悪夢
のサイクル』(文藝春秋)を本箱から探し出した。再読しようと思う。

古い本だが、■内橋克人『人間の原点に戻れ。そこに真の経済はある も
うひとつの日本は可能だ』(文春文庫) を今日発注。


宮部みゆき『ぼんくら 上』(講談社文庫)本日着。
表紙のほか、本編の数か所に村上豊の挿絵。昔、五木寛之の『風に吹かれて』
などエッセー3部作の挿絵も担当していて、好きな画家だ。

『ぼんくら 下』も今日発注。

さてさて、10月の当ブログは全日パーフェクトで書き終えた・・・・・。
今年も早いもので、もう2か月しか残っていない。
日立のお墓の改装工事も依頼していたのが、約束通り、今日完成の連絡が
入った。

明日からの11月以降、このブログもきっと休みがちになることを先に
お断りしておきます。師走に向かうもので、根詰めてやることが多くなる
もので。
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当ブログでも23日(木)に、エボラ出血熱関連の投稿をしたのだが、
27日(月)には、西アフリカから帰国の男性が、空港で発熱を訴え、
エボラ出血熱の検査を受ける事態が発生し、「すわっ、日本にエボ
ラ侵入か?」と緊張が走った。

テレビ画面上部の文字だけの臨時ニュースに、大臣でも医者でもな
い当方だって、一瞬「凍りついた」な・・・。



29日(水)には、毎日新聞県版にも「エボラ出血熱県内も警戒」の
囲み記事が出て、一層身が引き締まった。

記事によれば、中国・上海から茨城空港経由の入国者は、2013
年に約5万人だったという。
県保健予防課では、県内12保健所と約2000の医療機関にエボ
ラ出血熱への対応手順を通知したとも報じていた。

エボラ出血熱は、危険度最大の「第1類感染症」に分類され、これ
に対応できる指定医療機関は、県内ではただ一つ、「JAとりで総合
医療センター」のみだそうだ。


茨城空港でエボラ出血熱の疑いのある患者が発生した場合、ドクター
ヘリで取手へ向かうのか? 特別仕様の救急車で陸送されるのか?

患者が<たった一人>の場合はともかく、同じ飛行機に乗り合わせた
乗客、もしくは接触した空港職員やら売店の店員など多数の収容が
必要になった場合、県立中央病院(笠間市鯉渕)が収容先になるらしい。

毎日新聞の同記事には、県立中央病院での防護服着脱訓練の模様を
伝える写真も掲載された。


小美玉市にある茨城空港で一旦事が起これば、やはり、県立中央病院
が近いし、設備が整っているという理由で、救急車がここに向かうこ
とは必至だろう。

笠間市に住む当方にしてみれば、中央病院は目と鼻の先だし、空港の
ある小美玉市から病院へ向かう道路は、我が住居の途上にある。
中央病院に勤める看護師さんだって、近所に住んでいるし、ここに来て
エボラ出血熱が遠いアフリカの話ではなくなって、脅威として非常に
現実味を帯びた話になって来た。



●厚労省は新方針も・・・中国経由で「エボラ熱」日本上陸秒読み
(2014年10月23日 日刊ゲンダイ)


●「陰性」で安堵も・・・エボラ日本上陸なら3.3兆円が露と消え
(2014年10月30日 日刊ゲンダイ)



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今日のブログを書くにあたって、ネットを調べていたら、危険度最高の
感染症「第1類感染症」から第4だか第5分類まであって、衛生学やら
病理学の試験対策には、『語呂あわせ』で覚えるらしい・・・というのを
知った。
医療関係の資格試験も大変だァ~としみじみ感じましたね。

●感染症(1類~3類)の覚え方・クロネコの「コレ」は良いかも。(ブログ)



上に日刊ゲンダイ記事をリンクしましたが、エボラが日本上陸なら中国人
観光客は皆無となり、<日本大打撃>になるらしい。中国人もヤキモキして
いるらしいのだが、やっぱ、エボラが「中国経由」という記事の方が現実的
で恐ろしいと思うな・・・・。

茨城空港に就航している中国・春秋航空の上海便の飛行機、セマッコイあの
ショボイ座席だから、ひとり患者が出れば、てき面に一便全部の乗客に感染
しそうだものな。

当方が、前のめりで日鉱記念館内を見学している時、同行の
家人はさほどの興味を示さず、おととと、敷地内の鉱山資料
館に入った矢先には、ヒッソリとした資料館に響き渡る携帯
の呼び出し音!?で、それからは、電話で話しっぱなし。



この資料館、太平洋戦争末期の1944(昭和19)年に建てら
れた木造のコンプレッサー室をそのまま使用しているものと
言う。
戦争末期の資源不足の中、鉄が使えず室内クレーン用の梁も木
造だったという涙ぐましい歴史を知ったのだが、そういう歴史
を噛み締める間もなく、<明日の食事会の前の千波湖散歩を1時
間早めよう・・・・>とか何とか、電話でゴチャゴチャ。

ったく!!


70年前の建物だというのに、現役バリバリの建築とその手入れ
ぶりには感嘆した。展示物の大型モーターや1900年初頭から
坑道切羽で使われたり、改良開発のために輸入された削岩機の
展示には、殖産興業の現場先端の苦労が偲ばれた。

1900年代初頭の削岩機と言えば、当然に海外からの輸入もので
あったから、当時開発途上国でしかなかった日本の苦難を思ったが、
それ何より、それらの削岩機は、人類が兆戦を重ねて来た科学技術
の歴史の証しでもある、と感じた。

肝心のこれらの歴史を前にして、<明日の食事会の打ち合わせ・・>
の電話とは、女どもは何を考えてんだか・・・。


電話のあと、家人はもうひとりの友人へ内容転送の電話をしたよう
なのだが、水戸かどこかでの養老孟司先生の講演会の会場真っ只中
だったらしい。まったく、不埒な輩どもではある。



11月に入ってから、家人は市内ボランティアグループの活動の一環
で、世界遺産に選ばれた群馬県・富岡製糸場の見学に行くという。

だいぶ張り切っているのだが、足元の日鉱記念館には興味なし・・・。
「世界遺産」の冠が付いたものなら、異常に興味を示すのは、まあ、
ミーハー丸出しだ。なァ~~に考えてんだか???という感じだな。



それに引き換え、日立市内の小学校25校の6年生は、校外学習とし
て日立市発展の礎だった日鉱記念館見学会を毎年挙行しているという
ことを、同館の職員さんから聴いた。

日立市南部の、JRの駅でいえば常陸多賀地区や大甕地区の小学校は
関係ないのでは・・・と思ったのだが、昨夜、YouTubeで大煙突の
ビデオを見たら、河原子海岸あたりからも大煙突が見えていたのだ。

工業都市・日立発展の格子は日立鉱山にあったわけで、市内どこの
学校の子どもたちでも、その歴史を知って置くべきなのだと再認識
した。


また、JXホールディンググループの新入社員は当然としても、日立
製作所の新入社員も入社研修に日鉱記念館を訪れるという。
それもそうで、日立製作所の誕生の原点は、日立鉱山の採掘機材の
修理工場に始まったことにあったのであるから。

●日立製作所創業者 小平浪平:目次ー先駆者たちの大地(ネット記事)



いずれにしても、山行の下見のついでの訪問であったが、己の生まれ
育った原点を見詰めたいい機会であった。

永六輔氏の言葉『横町を曲がれば、それはもう旅の始まり』真摯に
足元を見つめると、また、新たな発見がある。



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●日本、米国人元捕虜を招待"初めて美味しい日本食を食べられた・・・"
などの声
(2014年10月17日(金)18時17分配信 NewSphere)


上記は、日本政府の招きでアメリカ人元捕虜7人が来日したニュース。
このうちのお一人が、日鉱記念館を訪問したニュースが、NHK水戸の
「ワイド茨城」という番組で流れたそうだ。(当方は観なかったが。)


どこの国の方でも捕虜になられた方には大きな苦難があったらしいが、
日本国民でも食料難の時代、戦後になって戦犯容疑の訴えの中には、
日本人に「木の根を喰わされた・・・・。」というのもあったとか。
日本人だって喜んで食べていたキンピラごぼうだったのが、食習慣の
違いが悲劇を生むことも。

日鉱記念館を訪れた米軍元捕虜の方は、何を思っただろうか?

昨日の夜には東京地方で、去年より15日も早く木枯らし1号が吹い
たそう。いよいよ本格的な冬の訪れも近いのか。


事務所脇の道路を今、トウフ屋のラッパだけを鳴らす軽トラが過ぎて
行った。いままで聞かない音で新味はあるが、何やら寂しげな音色で
これから来る季節を否応なく予感させる。

そう言えば、「♪たき火だ たき火だ 落ち葉炊き~」の童謡をかけて
毎年走る、灯油販売の引き売り車を思い出した。もうそれが来る季節だ。



さて先日の日曜日、山歩きの下見前後に御岩神社とともに行ったのが、
日立市宮田町にある日鉱記念館。

日立鉱山は、1905(明治38)年に久原房之助が旧赤沢銅山を買収し
て開業し、1981(昭和56)年の閉山まで76年間、工業都市・日立
市発展の礎となり、また日本の近代化と経済発展に大きく寄与して来た
鉱山であった。(以上は、同館のパンフレットより。)

日鉱記念館は、1985(昭和60)年に創業80周年を記念して日立鉱山
跡地に建てられたのだったが、それから30年が経過しようとする現在、
同館所有のJXホールディングスの、創業者の精神を今に伝えようという意
思と努力があり、また末端の現地職員たちの日々の作業努力もあって、メ
ンテナンスなど、30年を経過する建物だとは微塵も感じさせない博物館
になっていた。

●日鉱記念館 (同館HP)

●日鉱記念館(日立市民有志制作『きらら』中の<索引のページ>)
(☆<索引のページ>の「歴史遺産」をクリックして、さらに「日鉱記念館」
をクリックして、読んでみて下さい。)

●大煙突 (日立市民有志制作『きらら』中の<索引のページ>)
(☆上記の「日鉱記念館」のページの一番下、<大煙突へ>をクリックしますと
「大煙突」の項が読めます。文章・写真とも是非見て頂きたくてご案内。)



今日はどうしてこうも「日鉱記念館」にリキ入れて書いているのか。
それは、父親が日立鉱山の従業員だったからなのだ。

ここまで書いて、書いた字数を見るとそうでもないのだが、費やしている時間
はハンパない。


さて、父親は何度かの不況のなか、50代の頃<繰り上げ定年>の該当となり
退社することになった。当方が20歳の頃だったと思う。

前後するが、そんな訳で、ハタチまでの、大学生半ばまでの当方の基本体躯、
身体の血となり肉となった基本は、日立鉱山によって形作られたと言っても
過言ではないのだ。


記念館の1階に「鉱山町のくらし」というコーナーがあり、昭和30年代の
頃の写真やら物品が展示されていたのだが、まさにその時間と空間とは自分
のそれそのものだった・・・。
「鉱山町の生活向上のための施策や一山一家といわれた独特の気風」(同館パ
ンフ)の真っ只中が、自分の幼少期の世界そのものだったのだ。
いやはや、どっぷりとその世界にタイムスリップさせてもらったひとときだ
った。


だいぶ以前に、マルクス経済学者で日本社会党左派の中心的論客だった、向
坂逸郎の『わが資本論』(新潮選書)を読んだ時、福岡県大牟田市の炭鉱地帯で
育った少年時代を回顧するくだりで、自分の子ども時代に経験したものと同じ
臭いを感じたことがあった。

明治から大正・昭和と日本の近代化をけん引した炭鉱やら鉱山町に、同じよう
に流れていた気質というのか、独特の空気感といったものだ。



さてこの日は、かつて銅鉱石を掘り出していたヤマ跡の記念館を後にして、山
あいの九十九折の道路を下って来て、家人に自分の卒業した大雄院小学校跡を
見せようと車を走らせると、その道筋前にあったO君やSさん、Gさんが住んで
いた住まいはもう無くて、とうの小学校はもう校庭さえなく、大きな工場の敷
地になっていた・・・・・。

自分の幼少期、少年期の物理的建造物が何もない空虚感。
五木寛之が書いた「デラシネ」という言葉が脳裏に浮
かんだ。

●日鉱記念館 ~日立市(YouTubeより)

●日立鉱山の大煙突ドキュメンタリー傑作!!~大煙突讃歌①(YouTube)



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日立鉱山の煙害対策の歴史は、日本における公害対策の手本になるような評価に
値する試みであったが、その詳細は新田次郎の小説『ある町の高い煙突』に詳しい。



今回日鉱記念館を訪れて気が付いたのは、同館2階にあった「労使関係」という
ガラスケース内に展示されていた古い雑誌。文藝春秋だか中央公論だかに掲載の
作家半藤一利氏による記事だ。
正しいタイトルか自信がないが、「日立鉱山を第2の三池にするな!」の記事。


日立鉱山も何度かの不況を潜り、<希望退職>という名の人員整理を敢行して来た。
母方の叔父が引っ掛かり、直近では、ついに父親もそれに引っ掛かった。

今思えば、息子二人を大学に出している頃で、なかなかに厳しい状況だったと思う。



古くは、当方がまだ小学校の低学年の頃に、何でかは不明だが、労使関係の縺れで
ストライキに突入した時期があり、急きょの休みの中、秋晴れの石灰山の崖下で
父親と同僚の立ち話に「ストライキ」という言葉を聴いた。

のどかな秋晴れの真っ只中、静かな山あいの崖下で聴いた言葉は「ストライク」と
いう野球の言葉として聴いたのであった。


上に書いた半藤一利氏の雑誌記事が、この時の事案のことだったかどうかは不明だ
が、実際にストライキが打たれた状況というのは、結構深刻な事態だろうと思われる
のだが、その日は晴れ上がり、天はあくまでも高い、平和なキノコ採り日和りの日だ
った。

当時のオヤジの年を越えた今、半藤一利氏の記事が気に懸るのである・・・・。










しばらくお見かけしてないな、と思っていた永六輔さんはパーキンソ
ン病と闘っておられるのだそうだ。
それでも、かつての片鱗が顔を出し、瀬戸内寂聴さんとの話で、自ら
「パーキンソン病のキーパーソン」と笑わせた・・・・そう。


全国47都道府県中、唯一スタバがなかった鳥取県に、やっとスタバ
の進出が決まったようだが、これは、同県の平井知事の名言に負うと
ころも大きかったようだ。
『鳥取県にはスタバはなくても、スナバ(砂場)はある。』

このアピールを聴いたスタバの社長から、知事あてに電話が行ったのが、
スタバ鳥取進出の発端だそうな・・・・。



さてさて、脱線から始まった今日のブログ、腹にハマる名言のことから
入りたかった訳で、それで永さんのことから書き始めた。
永六輔さんと言えば『横町を曲がれば、それはもう旅の始まり』という
のがあり、当方の好きな言葉なもので、以前にもこのブログで引いたこ
とがある。


昨日は登る山の下見に出掛けたと書いた。
「登山口」を現場で確認すればイイだけだから、はるばる出かけて、すぐ
終わってしまうことだ。
家人は<それだけの積り>だったと思うが、こちらは、元百貨店の企画マン。
出掛ける際には、「ついで」を考えて、訪問先を2つばかり決めていた。

で、今日はその「行った先」のひとつを以下ご紹介、のブログだ。



昔、サラリーマン時代、百貨店の販売促進部門を担当していたのだが、毎年
の夏休みの集客催事を決めるのが悩みの種だった・・・。

そりゃあ、カネに糸目を付けなければどんなことでも企画出来るのだが、
投下した企画料やら、期間中のランニングコストと、現実に見込める集客量
のバランスが、なかなかに難しい。

ある年は、なるべく経費を抑え、しかも手堅くそこそこの集客量が見込める
もの、コスパ上もまず分母の基本企画料が極力安いものとして、結局は安易
な企画ながら、手堅くそこそこ集客があり、<当りハズレのない>『おばけ
屋敷』の実施に決めた。

百貨店の催事場を「おばけ屋敷」に設え、夏休み中の怖いもの見たさの子ども
達を呼び寄せる企画。
子どもたちが来たがるということは、セットで親も来店するワケで・・・。


そんなこんなで、いよいよその準備段階に入った時期。
ふと、野ざらしの原っぱならイザ知らず、百貨店の店内で催して何か事件や事故
が起きてはいけない、と急に気になり出した。
歌舞伎でも怪談話を上演するときは、公演の始まる前に「お岩さん」を祭る神社
にお参りするというのも思い出した。


だが当時は不勉強で何も知らなかった。日立市入四間町に御岩神社というのがあ
ることを知り、早速にお祓いをしていただきに伺ったのだった。

いやはや、今考えると冷や汗もので、何とも申し訳ないやら、面目ないの一語。



宮司さんに、店舗の名前を告げ、夏休み企画でやる「お化け屋敷」のお祓いで伺
った旨お話すると、「バ、バァっかもん!!」「何を言っておるんじゃ!?」と怒鳴ら
れることもなく、意外にも、望み通りのお祓いをしていただいたのだった。

御岩神社は、「お岩さん」とは全然関係がなかったのだし、何より、深山とも言
える山の中の神社だったから、今考えると、そんな話を受けて気持ちが悪かった
と思うのですね。

お蔭で、「夏休み企画」は一つの事件も事故もなく、無事盛況のうちに終えるこ
とが出来た。



さて、昨日初めて急な坂道の参道を登って、本殿までお参りしたのだったが、常
陸國風土記にも記述のある由緒正しい、立派な格式高い神社であった。

かつての無礼を心の中で詫びながら、お参りをして参りました。

神社の縁起を、いちいち浅学の当方が書くより、以下神社のHPなどリンクしま
すので、是非ご覧下さい。
まだ行かれたことがない方には、お薦めの場所。

以外にも、(行ったのが日曜日だったこともあるかも知れないが)知っている人は
知っているようで、参拝客が引きも切らない状況であったな。


●御岩神社HP

●茨城のパワースポット/御岩神社のご利益(『パワースポット研究所』HP)



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日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
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福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
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