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 この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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昨日の夜には東京地方で、去年より15日も早く木枯らし1号が吹い
たそう。いよいよ本格的な冬の訪れも近いのか。


事務所脇の道路を今、トウフ屋のラッパだけを鳴らす軽トラが過ぎて
行った。いままで聞かない音で新味はあるが、何やら寂しげな音色で
これから来る季節を否応なく予感させる。

そう言えば、「♪たき火だ たき火だ 落ち葉炊き~」の童謡をかけて
毎年走る、灯油販売の引き売り車を思い出した。もうそれが来る季節だ。



さて先日の日曜日、山歩きの下見前後に御岩神社とともに行ったのが、
日立市宮田町にある日鉱記念館。

日立鉱山は、1905(明治38)年に久原房之助が旧赤沢銅山を買収し
て開業し、1981(昭和56)年の閉山まで76年間、工業都市・日立
市発展の礎となり、また日本の近代化と経済発展に大きく寄与して来た
鉱山であった。(以上は、同館のパンフレットより。)

日鉱記念館は、1985(昭和60)年に創業80周年を記念して日立鉱山
跡地に建てられたのだったが、それから30年が経過しようとする現在、
同館所有のJXホールディングスの、創業者の精神を今に伝えようという意
思と努力があり、また末端の現地職員たちの日々の作業努力もあって、メ
ンテナンスなど、30年を経過する建物だとは微塵も感じさせない博物館
になっていた。

●日鉱記念館 (同館HP)

●日鉱記念館(日立市民有志制作『きらら』中の<索引のページ>)
(☆<索引のページ>の「歴史遺産」をクリックして、さらに「日鉱記念館」
をクリックして、読んでみて下さい。)

●大煙突 (日立市民有志制作『きらら』中の<索引のページ>)
(☆上記の「日鉱記念館」のページの一番下、<大煙突へ>をクリックしますと
「大煙突」の項が読めます。文章・写真とも是非見て頂きたくてご案内。)



今日はどうしてこうも「日鉱記念館」にリキ入れて書いているのか。
それは、父親が日立鉱山の従業員だったからなのだ。

ここまで書いて、書いた字数を見るとそうでもないのだが、費やしている時間
はハンパない。


さて、父親は何度かの不況のなか、50代の頃<繰り上げ定年>の該当となり
退社することになった。当方が20歳の頃だったと思う。

前後するが、そんな訳で、ハタチまでの、大学生半ばまでの当方の基本体躯、
身体の血となり肉となった基本は、日立鉱山によって形作られたと言っても
過言ではないのだ。


記念館の1階に「鉱山町のくらし」というコーナーがあり、昭和30年代の
頃の写真やら物品が展示されていたのだが、まさにその時間と空間とは自分
のそれそのものだった・・・。
「鉱山町の生活向上のための施策や一山一家といわれた独特の気風」(同館パ
ンフ)の真っ只中が、自分の幼少期の世界そのものだったのだ。
いやはや、どっぷりとその世界にタイムスリップさせてもらったひとときだ
った。


だいぶ以前に、マルクス経済学者で日本社会党左派の中心的論客だった、向
坂逸郎の『わが資本論』(新潮選書)を読んだ時、福岡県大牟田市の炭鉱地帯で
育った少年時代を回顧するくだりで、自分の子ども時代に経験したものと同じ
臭いを感じたことがあった。

明治から大正・昭和と日本の近代化をけん引した炭鉱やら鉱山町に、同じよう
に流れていた気質というのか、独特の空気感といったものだ。



さてこの日は、かつて銅鉱石を掘り出していたヤマ跡の記念館を後にして、山
あいの九十九折の道路を下って来て、家人に自分の卒業した大雄院小学校跡を
見せようと車を走らせると、その道筋前にあったO君やSさん、Gさんが住んで
いた住まいはもう無くて、とうの小学校はもう校庭さえなく、大きな工場の敷
地になっていた・・・・・。

自分の幼少期、少年期の物理的建造物が何もない空虚感。
五木寛之が書いた「デラシネ」という言葉が脳裏に浮
かんだ。

●日鉱記念館 ~日立市(YouTubeより)

●日立鉱山の大煙突ドキュメンタリー傑作!!~大煙突讃歌①(YouTube)



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日立鉱山の煙害対策の歴史は、日本における公害対策の手本になるような評価に
値する試みであったが、その詳細は新田次郎の小説『ある町の高い煙突』に詳しい。



今回日鉱記念館を訪れて気が付いたのは、同館2階にあった「労使関係」という
ガラスケース内に展示されていた古い雑誌。文藝春秋だか中央公論だかに掲載の
作家半藤一利氏による記事だ。
正しいタイトルか自信がないが、「日立鉱山を第2の三池にするな!」の記事。


日立鉱山も何度かの不況を潜り、<希望退職>という名の人員整理を敢行して来た。
母方の叔父が引っ掛かり、直近では、ついに父親もそれに引っ掛かった。

今思えば、息子二人を大学に出している頃で、なかなかに厳しい状況だったと思う。



古くは、当方がまだ小学校の低学年の頃に、何でかは不明だが、労使関係の縺れで
ストライキに突入した時期があり、急きょの休みの中、秋晴れの石灰山の崖下で
父親と同僚の立ち話に「ストライキ」という言葉を聴いた。

のどかな秋晴れの真っ只中、静かな山あいの崖下で聴いた言葉は「ストライク」と
いう野球の言葉として聴いたのであった。


上に書いた半藤一利氏の雑誌記事が、この時の事案のことだったかどうかは不明だ
が、実際にストライキが打たれた状況というのは、結構深刻な事態だろうと思われる
のだが、その日は晴れ上がり、天はあくまでも高い、平和なキノコ採り日和りの日だ
った。

当時のオヤジの年を越えた今、半藤一利氏の記事が気に懸るのである・・・・。








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男性
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行政書士
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ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
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