この仕事に人生を賭けてます! 伊能忠敬の「人生二山」が好きな言葉。 実り豊かな第二幕目の人生の歩みing型。 黒田真一が人生の旅人として日々の雑感を綴ります。
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昨夜のTBS『情熱大陸』は、宮城県石巻の小さな小さな新聞社の、
(今回の東日本大震災に際しての、)ジャーナリズムの原点とも言える
「大きな大きな仕事ぶり」の紹介であった。
見た人も多かったと思うが、以下・・・・・。
●情熱大陸・公式ホームページから
(2011年9月11日 夜23時~放送 関東ではTBS
「石巻日日新聞」 )
「石巻日日新聞社」---「いしのまきにちにちしんぶんしゃ」で
はなく「ひびしんぶんしゃ」と言う。
従業員数わずかに28人。うち、取材スタッフは7人という。
あの大震災直後、漁業の町・石巻も大津波に襲われ、この新聞社の
1階部分にあった輪転機も水をかぶり印刷不能に。そしてこの地震
直後から記者達の命をかけた懸命の奮闘が始まる・・・。
ある記者は、家族の安否も不明の中、市役所など官公署への情報集め
に奔走。ある記者は、津波の情報を確かめに港に向かい、津波に遭遇。
ついには波に巻き込まれ、「死ぬ」を意識したが、流されて来た横倒し
の船に乗り込み一晩を過ごした後に、翌日ヘリに救助された。
そんな中、「新聞が発行できない危機」を乗り越え、社長を陣頭に
手書きの壁新聞による地域災害情報の発信を、大震災翌日(3月12
日付)から6日間にわたり続けた。
ライフラインの壊滅的消滅の中、「地域貢献」「新聞の使命」を果たす
べく、命がけの不眠不休の取組み・・・。
彼らは言う。
我々は、ジャーナリストではなくローカリストなんだ。
「地域の暮らしが在るがゆえに、我々が在る」(同社社長 近江弘一)
震災発生から半年、その後の記者達の「地域密着」の取材活動もカメラ
は追っていた。
石巻の港でいよいよ大型サンマ漁船が初出港し、一方でカツオが震災後
に初水揚げされたことが同時進行。記者が、デスクが<スクープだ>と
喜ぶ姿が映し出される。
多くの児童に犠牲者を出した、大川小学校の追悼コンンサート。
地域でともに歩む者として認められたのでしょうね、新聞社として
は唯一取材を許された地元紙としての取材風景も・・・・。
心を閉ざしていた被災者家族の思いにも気遣いながらの紙面づくり
は、地元紙ならでは、でした。
「石巻日日新聞です・・・・。」浜で漁具を修理する漁師へのあいさつ、
海を見下ろす公園で住民を取材するあいさつでも、記者の誇らしげな
声と、住民の信頼の眼差し。
いい番組を観た満足感で一杯になった夜だった。
●人気ブログランキング へ
ランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。
このブログは、先月8月1日から約4ヶ月半ぶりに再開。
奇しくもその初日の、8月1日付当ブログにこの石巻日日新聞の
本をご紹介させていただいた。
社長の「まえがき」からはじまって、記者達の震災直後からの
奮闘振りが日誌形式で編まれている。被災現場とはどういう状況に
あったのか?書くのを仕事とする集団の文であるから、比較的
冷静に書かれてはいるが、職業的観察眼も相まって「現場」の凄さ
を再現し、我々に訴えるものは大きい。
■『6枚の壁新聞ーー石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録』
石巻日日新聞社編 角川SSC新書 2011年7月
壁新聞の一枚は、「ジャーナリズムの原点」としてアメリカの
新聞博物館に永久保存されたことも付記しておく。
(今回の東日本大震災に際しての、)ジャーナリズムの原点とも言える
「大きな大きな仕事ぶり」の紹介であった。
見た人も多かったと思うが、以下・・・・・。
●情熱大陸・公式ホームページから
(2011年9月11日 夜23時~放送 関東ではTBS
「石巻日日新聞」 )
「石巻日日新聞社」---「いしのまきにちにちしんぶんしゃ」で
はなく「ひびしんぶんしゃ」と言う。
従業員数わずかに28人。うち、取材スタッフは7人という。
あの大震災直後、漁業の町・石巻も大津波に襲われ、この新聞社の
1階部分にあった輪転機も水をかぶり印刷不能に。そしてこの地震
直後から記者達の命をかけた懸命の奮闘が始まる・・・。
ある記者は、家族の安否も不明の中、市役所など官公署への情報集め
に奔走。ある記者は、津波の情報を確かめに港に向かい、津波に遭遇。
ついには波に巻き込まれ、「死ぬ」を意識したが、流されて来た横倒し
の船に乗り込み一晩を過ごした後に、翌日ヘリに救助された。
そんな中、「新聞が発行できない危機」を乗り越え、社長を陣頭に
手書きの壁新聞による地域災害情報の発信を、大震災翌日(3月12
日付)から6日間にわたり続けた。
ライフラインの壊滅的消滅の中、「地域貢献」「新聞の使命」を果たす
べく、命がけの不眠不休の取組み・・・。
彼らは言う。
我々は、ジャーナリストではなくローカリストなんだ。
「地域の暮らしが在るがゆえに、我々が在る」(同社社長 近江弘一)
震災発生から半年、その後の記者達の「地域密着」の取材活動もカメラ
は追っていた。
石巻の港でいよいよ大型サンマ漁船が初出港し、一方でカツオが震災後
に初水揚げされたことが同時進行。記者が、デスクが<スクープだ>と
喜ぶ姿が映し出される。
多くの児童に犠牲者を出した、大川小学校の追悼コンンサート。
地域でともに歩む者として認められたのでしょうね、新聞社として
は唯一取材を許された地元紙としての取材風景も・・・・。
心を閉ざしていた被災者家族の思いにも気遣いながらの紙面づくり
は、地元紙ならでは、でした。
「石巻日日新聞です・・・・。」浜で漁具を修理する漁師へのあいさつ、
海を見下ろす公園で住民を取材するあいさつでも、記者の誇らしげな
声と、住民の信頼の眼差し。
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奇しくもその初日の、8月1日付当ブログにこの石巻日日新聞の
本をご紹介させていただいた。
社長の「まえがき」からはじまって、記者達の震災直後からの
奮闘振りが日誌形式で編まれている。被災現場とはどういう状況に
あったのか?書くのを仕事とする集団の文であるから、比較的
冷静に書かれてはいるが、職業的観察眼も相まって「現場」の凄さ
を再現し、我々に訴えるものは大きい。
■『6枚の壁新聞ーー石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録』
石巻日日新聞社編 角川SSC新書 2011年7月
壁新聞の一枚は、「ジャーナリズムの原点」としてアメリカの
新聞博物館に永久保存されたことも付記しておく。
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プロフィール
HN:
5596DA(ゴーゴークロダの意)
性別:
男性
職業:
行政書士
趣味:
山歩き、自然散策、ドライブ
自己紹介:
ISO14001環境マネジメントシステム審査員補
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
日本自然保護協会・自然観察指導員
浄化槽管理士
日本森林学会会員
福祉住環境コーディネーター
茨城県介護サービス情報公表制度・調査員
茨城県動物愛護推進員
上記もろもろ、兼 おっさん。
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